歌詞
2009年09月13日
佐野元春のザ・ソングライターズ〜矢野顕子 Part1、2
お取り置きしていたこの2回分の番組を、先日お持ち帰りした泡盛をチビチビやりながら楽しむ。
仕事もちょっと一段落した感じの今夜。
たぶんは自分にとって「至福の時間」なんだなと、少し大袈裟ながらも感じていて。
学生との曲作りワークショップも凄かったし、矢野さんのソングライティングの過程も垣間見ることができて興味深かった。佐野さんは佐野さんらしく、矢野さんは矢野さんらしい、この二人の語り口がなんとも味わいがあって。
観ていてだんだん酔いも回ってきながら、詩や歌や二人の対話にうんうん頷きながら、おれは本当に矢野顕子が好きなんだな、と自分にあきれていた。
先日、坂本龍一氏も語っていたけど、自分も同じく歌詞とメロディーを一度に両方頭で処理することが苦手で。だから、あらためて詩だけを抽出してみると、あたらしい感覚を覚えることがあるのもしばしばで。
この曲、こんなにもカッコイイ詩だったなんて、佐野さんのポエトリー・リーディングにより知らされた。
『I am a dog』 (LOVE IS HERE)
今 この時 この場所 この匂いがすきだな
夜は人々を置いてきぼりにして笑ってる
身体を低くして地球と同じ高さになる
世界中のかなしみがつまっているゴミ袋
食いちぎり 嗅ぎわけ 明日を選び出す
かなたに見えるは橋 夢見てるその向こう
あの子の泣き声がかすかにきこえる 橋向こう
いつも思う いつの日にか 知恵と力に満ちて
小さくても大きくても白くても赤くても
家があってもなくてもやさしくされてもされなくても
きょうは 犬だから
今 この時 この橋 渡って走り出す
爆弾と竜巻と物質主義をくぐりぬける
犬には犬のための犬の愛が犬にある
しっぽまく うすら汚れる とぼとぼ歩く
途方に暮れる 犬とよばれる でも 生きてゆく
きょうは 犬だから・・・
2009年07月12日
あいのわ / ハナレグミ
日曜日の昼下がり、なんとくつろげる音楽だろう。ハナレグミ。
とにかく平和な気分に、穏やかな気持ちにさせてくれる。
最新アルバム『あいのわ』というタイトルにはじまり、
『愛にメロディー』
『PEACE TREE』
『大安』
『あいまいにあいまい愛のまにまに』
『あいのこども』
といった曲名だけとってしまえば、なんだかえらく目出度いような、気恥ずかしいくらいに思ってしまいがちだが、自分のようなオヤジが聴いていても自然と感情移入できてしまうマジック。あの永積タカシの奇跡的な癒しの声にのせると、どんなべたべたしたテーマでも、さらりと臆面もなく受け入れることができる。
それにしても、もしハナレグミが結婚披露宴なんかにシークレット・サプライズで突然現れ、そしてギターで弾き語ってもらったりしたら、ハナレグミを知らない女性でも泣きだしてしまうのではないかな?
聴いていて思い出したのが、あの改心作「帰ってから、歌いたくなってもいいようにと思ったのだ。」を良く聴いていた、情緒不安定だったころのこと。あれも確か梅雨時だったような?とにかく、へたな精神安定剤よりもずっと心をときほぐしてくれ、落ち着かせてくれる音だった。
あのアルバムの「男の子女の子」なんかは、矢野顕子がカバーしたBOOMも「中央線」のごとく、くるりが生み出した素材をつかって、見事に自分の世界に引き込んでいたものだ。
今回のアルバムでも唯一のカバー曲で、『PEOPLE GET READY』が入っているが、これがまた良い味を出している。ロッド・スチュワートが歌っていたのを久々に聴いてみたくなってCDを探すものの、ロッドのCDは1枚も持ってないではないか!。すごく自分の中に染みついている音楽だと思っていたが、ずいぶん昔から耳にしなくなっていただろうということに、ちょっと驚く。
それにしても、早く配線つないでアナログ盤の掘り起こしもじっくりしたいな〜。
アルバム後半には原田郁子による作詞曲が何曲かあり。
そういえば、ユニットも組んでいたと思うが、今は活動しているのかな?
なんとなく世界観やにじみでる人柄に共通項を感じてしまう2人だと思ってしまった。
その他にも、東京スカパラダイスオーケストラ(またここにも!)、スチャダラパー・BOSEも彩りを添える。
「…がしかし」のフレーズがいつまでも耳に残る『…がしかしの女』、初めて聴いたけど、マダムキラーのブルースなギター&シャウトにも興味をそそられた。
で、良い曲が揃っているこのCDだけど、なんといっても『光と影』は最高だった。
愛と平和に充ち満ちたなかに、その中心に位置する光りと影の歌詞が、
このアルバム全体をぎゅっと引き締めた感がある。
ほんと、いい。
だれでもない どこにもないぜ
僕だけの光りと影
光りの先の闇を見に行こう
光と影
だれでもない どこにもないぜ
僕だけの光りと影
闇の先の光りを見に行こう
光と影
聞かせてほしい 君の中にある
光と影
http://netafull.net/music/031209.html
2009年02月22日
三日月 / くるり
ユニコーンといい、くるりといい、新曲続きで刺激的なこの頃。
そして少なくとも世間の音楽の流れと、自分の感覚が大きくかい離してないという安心感も感じる。
そう。自分がなんだか世間とのつながりを求めている証拠なのだろう。
この三日月をどこか遠くの街で見つけたら
この三日月のかけらのことを教えて下さい
2分54秒という短い時間の曲が、いっそう短く感じる。
曲が流れているうちに、考えてしまう事柄がいっぱいでてきて、また繰り返す。
このエンドレス再生のループにはまりながら。
メロディーはくるりの節ではあるけれど、ピアノのアレンジがおおらかで温かい。
なんかちょっと新しい。くるりの音ではあるのに。いやいつもそうなのだ、くるりは。
おなじみTOM WAITSの『Grapefruit Moon』をまず思い出した。
そういえばこの曲もゆるやかなシャッフル気味のリズムだ。
Grapefruit moon, one star shining, shining down on me.
Heard that tune, and now I'm pining, honey, can't you see?
そして『三日月』というタイトルに想いを馳せる。
絢香・三日月という知名度で大きく成功した曲があるのに、あえて同タイトルでリリース。
セールスのリスク(?)よりアーティストの表現したいものを優先した結果なのだ。潔い姿なのだ。
・・・と、どうしても贔屓目に見てしまう自分。
この曲はNHK「浪花の華〜緒方洪庵事件帳〜」の原作をイメージして作ったもので、
決してアルバムの一曲として意識した曲ではないとの事。
月のやさしく見守るような光り・存在は恋する人を想う歌によく映える。
このさみしさを、
どうか優しさに変えていきたい
どうか優しさに変えてとどけたい
最近の自分は、さびしがり病にかかっているのかもしれない。
いい年をしたオッちゃんが、何を感傷的になっているのだろうか。
笑っちまうけどこの気持ちばっかりはしかたない。
2008年12月23日
柴咲コウ・孤独の中の輝き
NHKのドキュメンタリーで柴咲コウを観る。(地上波での再放送)
全国ライブツアーに臨む彼女に密着した番組で、彼女の魅力をあらためて感じることになった。
その作品の質の高さや、楽曲リリースの頻度などを考えても、女優としての評価が確立されている彼女がどうして音楽に表現の場を求めるのか?という疑問をかねがね持ってきたが、このドキュメンタリーでその謎が少しだけ解けたような気がしてくる。
『孤独の中の輝き』というタイトルに凝縮されているんだろうなぁ。
彼女の中にかかえる孤独を自身が見つめて、理解し、表現する彼女の感性が、多くの若い女性の心に共鳴して、それがまた彼女の力となって返ってくるようなサイクルなのか?
女優で見せる姿に比べて、ライブ歌うで柴咲コウの歌声は思いのほか不安定で、常に迷い壊れそうな様子が伝わってきて、それがまた魅力的に見えたりもしました。
歌を通して「月の光が、暗闇を照らすように」語りかけてくれる柴咲コウ。
着物姿もかなり良かったなぁ。
Kou Shibasaki Best Special Box
全国ライブツアーに臨む彼女に密着した番組で、彼女の魅力をあらためて感じることになった。
その作品の質の高さや、楽曲リリースの頻度などを考えても、女優としての評価が確立されている彼女がどうして音楽に表現の場を求めるのか?という疑問をかねがね持ってきたが、このドキュメンタリーでその謎が少しだけ解けたような気がしてくる。
『孤独の中の輝き』というタイトルに凝縮されているんだろうなぁ。
彼女の中にかかえる孤独を自身が見つめて、理解し、表現する彼女の感性が、多くの若い女性の心に共鳴して、それがまた彼女の力となって返ってくるようなサイクルなのか?
女優で見せる姿に比べて、ライブ歌うで柴咲コウの歌声は思いのほか不安定で、常に迷い壊れそうな様子が伝わってきて、それがまた魅力的に見えたりもしました。
歌を通して「月の光が、暗闇を照らすように」語りかけてくれる柴咲コウ。
着物姿もかなり良かったなぁ。
Kou Shibasaki Best Special Box
2008年09月19日
Grapefruit Moon / Tom Waits
学生時代、英語の勉強を怠ったことで、ずいぶんと損をしてきたように思う。
歌詞を理解できる人にくらべて、メロディだけで楽しむ分、ある意味洋楽の聴き方が浅い。
ずっと好きで聴いてきた曲なのに、歌詞の意味を知らないことが多いもんな〜。
この曲も、いつも聴く度に歌詞が頭に入ってきていたら、もっと思い入れが深くなっただろう
○グレープフルーツ・ムーン/トム・ウェイツ
グレープフルーツのような月、光る星ひとつ
それが僕を照らしている
あの調べをもう一度ききたいと
こがれている僕を
あのメロディーがきこえるといつも
胸の奥で何かが壊れる
グレープフルーツのような月、光る星ひとつ
潮の流れは、それでも戻せない
踏み越えられない運命
そんなものはなかった
君は僕にインスピレーションを与えた
だがいったい何を失わなければならないだろう
あのメロディーが聞こえるといつも
胸の奥で何かが壊れる
グレープフルーツのような月、光る星ひとつ
僕にはおおいかくせない
今、煙草をふかしながら
僕は清らかさの為に闘う
でも星のように
暗闇に落ちていく
というのはいつも、あのメロディーがきこえると
木に登るのに
グレープフルーツのような月、光る星ひとつ
それしか見えないから
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2007年12月09日
Big Time / Tom Waits
昨日からのぐずぐずの状態から少しは復活してきたが、いまだ布団にくるまった状態。昨日の「Falling Down」が耳から離れない。
そもそもFalling Downの意味を勝手に布団に沈み込むと思っていたていたが、良く考えると少しおかしい。何の根拠もなかったので本当の和訳が心配になって辞書をひいた。
「falling down」の言葉だけだと私の電子辞書で出てこない。
何故?「falling down drunk:ぶっ倒れる酔っ払い」との記述。
まあ、ぶっ倒れるという意味なら、布団に沈み込んだ(倒れこんだ)自分をさしているとしたのは、さして外れてなかったのか?
それでもはいまいちすっきりしないので、CDの歌詞を見てみることに。
近頃はPCに取り込んだ音源を聴いているので、大量のCDから目的のものを探すのはしんどい。もともと私は洋楽の歌詞を理解しないまま聴いているケースが殆どで、それがPCから聴くようになってCDジャケを手に取ることがなくなり、さらに拍車がかかった。
幸いインポート盤ではなかったので、訳詩が付いていた。
「falling down〜falling down〜falling down」の所は、
「私たちは崩れ落ちている。そう崩れ落ちている」という訳。
さらに訳詩者によっては意味が大きく違う場合も有る、という思いで原曲を探すことに。それはトム・ウェイツの主演映画「BIG TIME」のサントラのような位置づけの同名タイトルのアルバム「BIG TIME」。
Big Time
そもそもこの映画、トム・ウェイツのドキュメンタリーのはずが、なんとも幻惑的な映像で、映画館の中でおかしな異次元に引きずり込まれ、終わったときには何故だか重い気持ちになってくたくたに疲れて出てきた記憶がある。曲の素晴らしさに反して決してすがすがしい気持ちにはなれなかった。
訳詩の話しに戻るが、「BIG TIME」収録の「falling down」の訳詩をみると、少し「Holly Cole」のものと少し違うのに気がついた。
基本的な詩のすじは、・・・
「ある男には好きな女がいる。しかしその女は別の男が好きである。そしてその彼女の好きな男はアウトローで、女は男のそんなところが好きなのだ。」
そこはだいたい同じなのだが、TOMの訳にはそこで
「おまえ(女)は男とどんどん下り坂を転げ落ちていくだろう。そんあアウトローな男と落ちていき、そして安ホテルで薬で死んでいくだろう。」
というような意味合いの突き放した恨みが入ったような内容だった。
それに反して、ホリー・コールのほうの訳は
「(アウトローな)男が犯罪に手を染めて落ちて行く。それをその男に寄り添うように女が薬で崩れ落ちていく。そして自分も崩れ落ちて行ってしまう・・・」
そういうニュアンスだった。
訳詩者を見ると、前者は男性。後者は女性。
男の訳詩者は「落ちていく女の最後を哀れみを持って見届ける」、という解釈で、女の訳詩者は「落ちていく女と供に自分も後を追うように崩れ落ちていく」という解釈にとれる。
自分はどちらのタイプだろうか?
自分の中の破滅願望をいつも抱えて生きている私としては、恐らく後を追うように崩れ落ちていくのかな?
改めて歌詞を少し理解した私は、
今の熱に浮かされたような体調の中、
「falling down」と供に布団をに溶け込んで、
さらに深いところに落ちていく感覚に包まれた。
Beautiful Maladies: The Island Years
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そもそもFalling Downの意味を勝手に布団に沈み込むと思っていたていたが、良く考えると少しおかしい。何の根拠もなかったので本当の和訳が心配になって辞書をひいた。
「falling down」の言葉だけだと私の電子辞書で出てこない。
何故?「falling down drunk:ぶっ倒れる酔っ払い」との記述。
まあ、ぶっ倒れるという意味なら、布団に沈み込んだ(倒れこんだ)自分をさしているとしたのは、さして外れてなかったのか?
それでもはいまいちすっきりしないので、CDの歌詞を見てみることに。
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幸いインポート盤ではなかったので、訳詩が付いていた。
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「私たちは崩れ落ちている。そう崩れ落ちている」という訳。
さらに訳詩者によっては意味が大きく違う場合も有る、という思いで原曲を探すことに。それはトム・ウェイツの主演映画「BIG TIME」のサントラのような位置づけの同名タイトルのアルバム「BIG TIME」。
Big Time
そもそもこの映画、トム・ウェイツのドキュメンタリーのはずが、なんとも幻惑的な映像で、映画館の中でおかしな異次元に引きずり込まれ、終わったときには何故だか重い気持ちになってくたくたに疲れて出てきた記憶がある。曲の素晴らしさに反して決してすがすがしい気持ちにはなれなかった。
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「ある男には好きな女がいる。しかしその女は別の男が好きである。そしてその彼女の好きな男はアウトローで、女は男のそんなところが好きなのだ。」
そこはだいたい同じなのだが、TOMの訳にはそこで
「おまえ(女)は男とどんどん下り坂を転げ落ちていくだろう。そんあアウトローな男と落ちていき、そして安ホテルで薬で死んでいくだろう。」
というような意味合いの突き放した恨みが入ったような内容だった。
それに反して、ホリー・コールのほうの訳は
「(アウトローな)男が犯罪に手を染めて落ちて行く。それをその男に寄り添うように女が薬で崩れ落ちていく。そして自分も崩れ落ちて行ってしまう・・・」
そういうニュアンスだった。
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男の訳詩者は「落ちていく女の最後を哀れみを持って見届ける」、という解釈で、女の訳詩者は「落ちていく女と供に自分も後を追うように崩れ落ちていく」という解釈にとれる。
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自分の中の破滅願望をいつも抱えて生きている私としては、恐らく後を追うように崩れ落ちていくのかな?
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今の熱に浮かされたような体調の中、
「falling down」と供に布団をに溶け込んで、
さらに深いところに落ちていく感覚に包まれた。
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