ジャズ
2008年10月02日
AKIKO GRACE / 悠久の路
今日の一曲。
アキコ・グレースのアルバム「東京(TOKYO)」から、「悠久の路」。
アルバムタイトルからも分かるように、テーマとなっているのは日本。
でもこの曲だけは、日本という枠を離れた雄大なアジアの広がりを感じてしまいます。
もともとこの「東京(TOKYO)」は、「ニューヨーク三部作」といわれた3枚のアルバムの後に、
アキコ・グレースの成功を決定づけた後、実験的に作成されたような問題作。
問題作といっても、どうやらこの「東京(TOKYO)」は世間では不評だったらしく、
彼女のキャリアに傷を付けた一枚だと言う人もいるらしい。
でも、個人的には好きです。
アキコ・グレースという名前だけど、生粋の日本人のようで、
アメリカ、世界での活躍が先行した逆輸入ミュージシャンといえるのでしょう。
日本の芸大とバークリー音楽大という最高峰のアーティストスクールを、
ともの主席で卒業しているという音楽的な技術力、完成度を背景に、
単にピアノの技術の高さを誇示するだけにではなく、(もちろん超絶技能のピアノも披露しているけど)
作曲、プロデュースの質の高さが彼女の本領ではないかと思います。
そういった意味でもこの「悠久の路」は、練られて洗練された曲調、
独創的な(まるで鼓弓のような)ストリングアレンジ、その音の一つ一つが私の胸に沁み、
ダイナミックなスケールが、私に大きな気持ちを持たせてくれるそんな一曲。
「ニューヨーク三部作」で彼女の立ち位置を築いたなのかもしれないけど、
それはそもそもアキコ・グレースのやりたかった音楽の一部分で、
それを象徴とする一曲が「悠久の路」なんだと勝手に理解しています。
ちなみに、このアルバムには矢野顕子の「春咲小紅」のカバーも収録されている。
同じ「アキコ」という名を持っている世界を舞台にして活躍する日本人ピアニスト。
ということで勝手に応援します!
以前、福岡ブルーノートで見たライブでは、彼女のキャリアにから想像していたイメージとは少し違う、
地道でひたむきな演奏スタイルだという感想を持った覚えがあります。
でも、確実に花があるミュージシャンのオーラを感じました。
2008年09月14日
E.S.T. Believe Beleft Below
アルバム「Seven Days of Falling」を購入したのが4年くらい前かな?
ちょっと個性的なピアノのトリオがもともと好きだったので、
これもその一環で興味を持ったのだけれど、最近はそんなに聴いてないCDだった。
半年前くらいからまたなぜかまた聴き出して、そしてはまってしまった。
なかでも「Believe Beleft Below」に。
この曲にはこの半年間、何度も折れてしまった私の心を癒してもらった気がするな。
体が震えるほど最悪な気分の夜でも、この曲が逃げ場を提供してくれていたように思う。
何よりも強い安定剤として作用していたのかもしれない。
「Believe Beleft Below」というこの曲、
スウェーデンのジャズトリオ「E.S.T.」が、トリオ以外の共演として、
同郷のトロンボーン奏者であるニルス・ラングレンをボーカルにフィーチャーしたもの。
なぜトロンボーン奏者がボーカルなのか?とかいう疑問や、
そのか細いちょっと不安定な歌声とアンニュイで叙情的な曲調にくらべて、
トリオのみの演奏時の実験的で挑戦的なサウンドの対比が、
ずっと前からとても心に引っかかってしまっていた。
一番のお気に入り部分は、2コーラス目の入り部分の歌とピアノのメロハモ部分で、
美しいサウンドに涙が出そうになるくらい。
ところで、そんなE.S.T.の最近の活動は?と思って検索してみたら、
なんと、ピアノでありリーダーのエスビョルン・スヴェンソンが、
今年の6月にダイビング中の事故で亡くなったという記事を発見してしまった。
44才という若さでだ。
「E.S.T」が、エスビョルン・スヴェンソン・トリオの略だとも知らなかったくらいの関わりで、
もちろん一方的にこちらが想っていただけの存在ではあるけれど、
この半年間、私を支え続けてきた恩人が、知らない間にこの世を去っていたということに、
ひどく脱力してしまった。
ただ「Believe Beleft Below」を繰り返して聴いて、しばらくの放心がつづいた。
そして、無駄に時間を浪費している今の自分に対する苛立ちを感じた。
人それぞれ、音楽とのいろんな関わり合い方があると思う。
それが「癒し」であったり「興奮」であったり。
それがたまたま感情的な部分で結びついてしまった曲は、
なかなか体からはなれないだろうと感じる。
この曲とも、長い付き合いになりそうな予感。
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ちょっと個性的なピアノのトリオがもともと好きだったので、
これもその一環で興味を持ったのだけれど、最近はそんなに聴いてないCDだった。
半年前くらいからまたなぜかまた聴き出して、そしてはまってしまった。
なかでも「Believe Beleft Below」に。
この曲にはこの半年間、何度も折れてしまった私の心を癒してもらった気がするな。
体が震えるほど最悪な気分の夜でも、この曲が逃げ場を提供してくれていたように思う。
何よりも強い安定剤として作用していたのかもしれない。
「Believe Beleft Below」というこの曲、
スウェーデンのジャズトリオ「E.S.T.」が、トリオ以外の共演として、
同郷のトロンボーン奏者であるニルス・ラングレンをボーカルにフィーチャーしたもの。
なぜトロンボーン奏者がボーカルなのか?とかいう疑問や、
そのか細いちょっと不安定な歌声とアンニュイで叙情的な曲調にくらべて、
トリオのみの演奏時の実験的で挑戦的なサウンドの対比が、
ずっと前からとても心に引っかかってしまっていた。
一番のお気に入り部分は、2コーラス目の入り部分の歌とピアノのメロハモ部分で、
美しいサウンドに涙が出そうになるくらい。
ところで、そんなE.S.T.の最近の活動は?と思って検索してみたら、
なんと、ピアノでありリーダーのエスビョルン・スヴェンソンが、
今年の6月にダイビング中の事故で亡くなったという記事を発見してしまった。
44才という若さでだ。
「E.S.T」が、エスビョルン・スヴェンソン・トリオの略だとも知らなかったくらいの関わりで、
もちろん一方的にこちらが想っていただけの存在ではあるけれど、
この半年間、私を支え続けてきた恩人が、知らない間にこの世を去っていたということに、
ひどく脱力してしまった。
ただ「Believe Beleft Below」を繰り返して聴いて、しばらくの放心がつづいた。
そして、無駄に時間を浪費している今の自分に対する苛立ちを感じた。
人それぞれ、音楽とのいろんな関わり合い方があると思う。
それが「癒し」であったり「興奮」であったり。
それがたまたま感情的な部分で結びついてしまった曲は、
なかなか体からはなれないだろうと感じる。
この曲とも、長い付き合いになりそうな予感。
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2007年12月27日
まだ引きずってしまう…
3記事連続でオスカー・ピーターソンになってしまいます。
やっぱりまだ引きずってしまいます。
あれから思い出を想っては曲を聴き、センチメンタルになってまた聴き。
そして同じくオスカー・ピーターソンを取り扱ったブログ記事を検索しては、悲しむ同士のそれを読んで、勝手に友と悲しみを分かち合ったような気分に浸っていました。
☆35 いつか終わりが。。。
映像がありました。ほんといい演奏です。
若い女性にもファンがいるんですね。
私もリクエストしたかった。。。
オスカーの訃報
最後のB・Nライブいかれようで。
私も福岡でライブ行けて本当によかったと思ってる。
おやじのつぶやき
2004年の貴重なライブ記事が書いてありました。
私もラストチャンスだとの予感は同じく感じていたのを思い出しました。
多くの人が彼のレコードをCDをライブを聴いて影響を受けている事を再確認できたこの2日間だったな。
私の好きなアーティスト - livedoor Blog 共通テーマ
やっぱりまだ引きずってしまいます。
あれから思い出を想っては曲を聴き、センチメンタルになってまた聴き。
そして同じくオスカー・ピーターソンを取り扱ったブログ記事を検索しては、悲しむ同士のそれを読んで、勝手に友と悲しみを分かち合ったような気分に浸っていました。
☆35 いつか終わりが。。。
映像がありました。ほんといい演奏です。
若い女性にもファンがいるんですね。
私もリクエストしたかった。。。
オスカーの訃報
最後のB・Nライブいかれようで。
私も福岡でライブ行けて本当によかったと思ってる。
おやじのつぶやき
2004年の貴重なライブ記事が書いてありました。
私もラストチャンスだとの予感は同じく感じていたのを思い出しました。
多くの人が彼のレコードをCDをライブを聴いて影響を受けている事を再確認できたこの2日間だったな。
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2007年12月20日
進化の過程
ライブ・イン・テキサス
ジャズ、ロック、クラシック、等々ほとんどのジャンルは私が音楽を聴き始めた時には既に出来上がったジャンルで、何の抵抗もなく聴くことが出来る音楽だった。もちろんそういったジャンルの音楽の中で様々な個性が存在するので、おなかいっぱいになり、特に型にこだわって音楽を聴くことはなくなったわけだが、ちょっと既存のジャンルから逸れた感のあるアプローチのミュージシャンには、つい耳を傾けてしまう。その面白さをリアルタイムに感じたのがパンクだと思う。新しい音楽に遭遇したというショックと、その後の世の中で高まっていった評価は、恐らく自分の感性の再確認のような関係でいつもつきまとっているのではないかと思うし、自分の感性なんてそんなものなんだろうなーとも思う。でもまたパンクのように、音楽の進化の過程に遭遇する機会がこないか、アンテナだけは張っておきたいと常々思う。