ローリング・ストーンズ
2008年12月16日
ザ・ローリング・ストーンズ『シャイン・ア・ライト』に思わず感涙
THE ROLLING STONES 'Shine A Light'
映画は好きだが、つい先日まで『ディパーデッド』の監督がマーティン・スコセッシだということも知らなかったくらいで、どう見栄を張っても映画通とはいえない自分。今回の『シャイン・アライト』もスコセッシだから見所は・・・みたいな先入観はまったく無く、でも前評判の良さに流されながら、また映画どころではなかったその日のスケジュールの中に、どさくさ紛れので勢いで入れ込んで、いつのまにかスクリーンの前に座っていた感じだった。
見終えての感想は、「とにかく122分間が瞬く間に過ぎていった。」
『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』で総毛立ったまま、最後のカメラが空へとフェードアウトしていくまで、決して中だるみがない。音楽ドキュメンタリーなので、物語の起承転結や、はらはらドキドキが有るわけでもない。ライブ演奏以外の古い映像も所々はあるが、ほぼライブ映画といっていい。恐らくスコセッシという監督のなせる技なんだろうけど、『シャイン・アライト』自体のライブ感、疾走感は、基本的には実際のライブハウスで1本体験した感じに近いくらい。狭い濃密な空間での一体感が、自分を観客の1人になったように錯覚させてくれるのだろう。小林克也氏が「小さな空間を大きく映し出す映画という手段のおもしろさ」というような事を語っていたのを思い出す。これがライブドキュメントの神髄なのではなかろうか?
ずっと昔、当時客の入れ替えがなかった映画館で、ストーンズの映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』を3周り飽きずに見たことを思い出すのだが、あの映画とは大きく違う感覚だった。『レッツ・スペンド〜』が上演されていた頃というのは、今ほど音楽映像が世に溢れてなく、また洋楽ライブに行く機会もなかなか無い状況で、「ストーンズのスタジアムライブ」という貴重感がたまらなかったのだと思う。youtubeで見つけたけど、そうだった、A列車のイントロからはじまる『アンダー・マイ・サム』だったなぁ。。。
くらべると『シャイン・アライト』でのパフォーマンスは、決して昔のような超人的パワフルなステージングではない。だけど緊張感があり、演奏者の佇まいの美しさ(芸術のようなキース・リチャーズのギターアクション!)、映像としての美しさがある。音も特にチャーリー・ワッツなんかべードラの厚みが予想外な感じで、歳を重ねるごとにかっこよい音になっているのではないか?と思ってしまう。そしてストーンズの曲が素晴らしいのはいまさら言うまでもないが、序盤すでに『As Tears Go By』が演奏された時は、相当やばかった。鳥肌がでてきて、そしてまさに涙がにじんでくるのを感じて。
身近にビートルズやストーンズをコンプリートしているような道楽者の従兄弟がいたので、自分が小学生の頃からこっそりLPを盗みだし、まさに盗み聞きの日々を送っていたものだ。今から思えば良い環境だったなと思う。『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』は特にお気に入りだった。この曲をきっかけに後追いでマリアンヌ・フェイスフルを聴きはじめることにもなったし。映画では確か曲が終わった後、「いい曲だろ?」みたいなことを優しく微笑んでつぶやくミック・ジャガー。マリアンヌ・フェイスフルとの思い出も、美しい思い出になっているのかなと想像したりもする。
個人的にひとつだけ残念な点は(これはどうしようもにことだが)ベースが空席になったままだということ。メンバー紹介でビル・ワイマンの名が呼ばれないことは、わかっていても寂しかったな。
『シャイン・ア・ライト(Shine a Light)』=『ライトを照らせ(邦題)』という事に実はラストまで気づいてなかった不甲斐なさに自己反省しながら、それでも「ライトを当てすぎるとミックが焦げちゃうぞ」という冒頭のスタッフミーティングのシーンとこのラスト曲『シャイン・ア・ライト(ライトを照らせ)』が最後に繋がり、終わった後も感動が尾を引く映画となりました。
映画は好きだが、つい先日まで『ディパーデッド』の監督がマーティン・スコセッシだということも知らなかったくらいで、どう見栄を張っても映画通とはいえない自分。今回の『シャイン・アライト』もスコセッシだから見所は・・・みたいな先入観はまったく無く、でも前評判の良さに流されながら、また映画どころではなかったその日のスケジュールの中に、どさくさ紛れので勢いで入れ込んで、いつのまにかスクリーンの前に座っていた感じだった。
見終えての感想は、「とにかく122分間が瞬く間に過ぎていった。」
『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』で総毛立ったまま、最後のカメラが空へとフェードアウトしていくまで、決して中だるみがない。音楽ドキュメンタリーなので、物語の起承転結や、はらはらドキドキが有るわけでもない。ライブ演奏以外の古い映像も所々はあるが、ほぼライブ映画といっていい。恐らくスコセッシという監督のなせる技なんだろうけど、『シャイン・アライト』自体のライブ感、疾走感は、基本的には実際のライブハウスで1本体験した感じに近いくらい。狭い濃密な空間での一体感が、自分を観客の1人になったように錯覚させてくれるのだろう。小林克也氏が「小さな空間を大きく映し出す映画という手段のおもしろさ」というような事を語っていたのを思い出す。これがライブドキュメントの神髄なのではなかろうか?
ずっと昔、当時客の入れ替えがなかった映画館で、ストーンズの映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』を3周り飽きずに見たことを思い出すのだが、あの映画とは大きく違う感覚だった。『レッツ・スペンド〜』が上演されていた頃というのは、今ほど音楽映像が世に溢れてなく、また洋楽ライブに行く機会もなかなか無い状況で、「ストーンズのスタジアムライブ」という貴重感がたまらなかったのだと思う。youtubeで見つけたけど、そうだった、A列車のイントロからはじまる『アンダー・マイ・サム』だったなぁ。。。
くらべると『シャイン・アライト』でのパフォーマンスは、決して昔のような超人的パワフルなステージングではない。だけど緊張感があり、演奏者の佇まいの美しさ(芸術のようなキース・リチャーズのギターアクション!)、映像としての美しさがある。音も特にチャーリー・ワッツなんかべードラの厚みが予想外な感じで、歳を重ねるごとにかっこよい音になっているのではないか?と思ってしまう。そしてストーンズの曲が素晴らしいのはいまさら言うまでもないが、序盤すでに『As Tears Go By』が演奏された時は、相当やばかった。鳥肌がでてきて、そしてまさに涙がにじんでくるのを感じて。
身近にビートルズやストーンズをコンプリートしているような道楽者の従兄弟がいたので、自分が小学生の頃からこっそりLPを盗みだし、まさに盗み聞きの日々を送っていたものだ。今から思えば良い環境だったなと思う。『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』は特にお気に入りだった。この曲をきっかけに後追いでマリアンヌ・フェイスフルを聴きはじめることにもなったし。映画では確か曲が終わった後、「いい曲だろ?」みたいなことを優しく微笑んでつぶやくミック・ジャガー。マリアンヌ・フェイスフルとの思い出も、美しい思い出になっているのかなと想像したりもする。
個人的にひとつだけ残念な点は(これはどうしようもにことだが)ベースが空席になったままだということ。メンバー紹介でビル・ワイマンの名が呼ばれないことは、わかっていても寂しかったな。
『シャイン・ア・ライト(Shine a Light)』=『ライトを照らせ(邦題)』という事に実はラストまで気づいてなかった不甲斐なさに自己反省しながら、それでも「ライトを当てすぎるとミックが焦げちゃうぞ」という冒頭のスタッフミーティングのシーンとこのラスト曲『シャイン・ア・ライト(ライトを照らせ)』が最後に繋がり、終わった後も感動が尾を引く映画となりました。