忌野清志郎
2010年05月02日
この一年間と忌野清志郎
もう一年経つのか?信じられない。
そうすると、当然「おれは何を一年やっていたんだ?」という問いにたどりつく。
あと30年生きられるとしたら30分の一が過ぎ、
あと20年生きられるとしても20分の一が過ぎ、
あと10年生きるのだったら10分の一が過ぎたことになり、
そしてもっと時間がないのかもしれない・・・
いつも年末大晦日の時期には同じようなことを考えたりするものだが、
5月2日のこの日は、いつも以上にそのことを実感させられた・・・
・・・などと思って1年前の自分ブログ記事を見返すと、
ほぼ同じことでモンモンとする内容が書かれていて、自分にあきれかえる。
きっとやる、いつかやる、の「やるやる詐欺師」だと、おのれの正体にうすうす気がついてはいたが、
その証拠をつきつけられると、それなりに向き合わなければならない気がしてきた。
後悔や焦りを感じることは、そう感じることがクセになってしまうと、
そこから何も成長できないし、進歩することもないという事なのだろう。
一年後の自分に向かって、恥じない生き方をしたいものだと思った今日。
福岡パルコ・個展「忌野清志郎の世界」にて。
キヨシさんの濃密な生きた証がそこにあった。
2010年04月26日
近ごろはいつも矢野顕子の『音楽堂』
身体の調子や仕事の好不調などのさまざまな波と同じく、自分の場合でいうと音楽への接しかたにもある期間ごとに波があり。とにかく新しい曲、流行ものを手当たり次第数追いかけて聴く時期があったり、ひとつのジャンルが気になると数珠つなぎ・・例えばスカパラが良くなってくるとレピッシュやフィッシュボーンやスペシャルズあたりまで遡ってジミー・クリフまで行って落ち着く、みたいなときも。グレン・グールドが気になっていた時期は、日頃あまり聴くことがないバッハ曲が、つられて気になったり。テレビで目にした沢田研二がかっこよく、しばらくはジュリー一色だったり、井上陽水もNHKの番組に連日かじりついた。そうしてまた冷めて少し距離を置いて、でもまた時間がたつと「あの感覚を」と反芻する。そういうことをよく繰り返す。そうかと思えば、なにも聴きたくない、めんどくさく思う日もある。
どういう心の状態が音楽の好みや方向性に影響を与えるのか?考えてみてもはっきりしたことは理解できないが、少なくとも熱くなれる対象がある時期というのは、生活に充実感や幸福感を少なからず感じているのは確かで。それは生活が充実していたり余裕があるから、音楽という文化的活動へもエネルギーが向くという図式も成り立ちそうであるし、音楽を聴いたり楽器を弾いたりすることが楽しいと感じる精神状態が、イコール幸福モードな生活の十分条件なのかもしれない。へこんだ時にも聴く音楽は決して幸福な状態ではないだろうが、音楽によって沈んだ気持ちを少しでも持ち上げることが出来ているなら、ベクトルは幸福方向に働いているはず。そんなことを思いめぐらしながら、では「不幸な音楽」なんてものはあるのだろうか?あるとしたらそれはどんな曲だろう?と考るも、なかなかイメージができなかった。そういう意味では、自分は今は幸せなのかもしれない。
矢野顕子のアルバム『音楽堂』が発売されて久しいが、いまだにヘビーローテーション真っ直中。
今日は何を聴こうかなぁ?と見渡し、結局選んでしまい最後まで繰り返す日々も既に長い。
今回のアルバムもスーパーフォークソングからずっと続くカーバーソングのピアノ弾き語り。特に病床から復活された名匠エンジニア・吉野金次氏との黄金タッグはそれはもう最高だ。タイトルの由来ともなっている神奈川県立音楽堂での録音は、心なしか今までより広がりというか反響の感じが深いように感じる。スーパーフォークソングのドキュメンタリーで映された緊張感溢れる制作現場の印象がいまだに残っていて、そのため1曲1曲生み出されるまでの過程を空想しながら聴くことがまた楽しく。曲は『グッドモーニング』『へびの泣く夜』ではじまる2曲が、なんだかまるで昔から聴き慣れ親しんだ録音のように錯覚するほど頭の中に入り込んでくる。個人的には4曲目までのうち2曲が「くるり」の曲だいうのもまた気持ちよく聴ける要因のひとつとなっているのかもしれない。ただ『春風』などはいつもながら元曲のイメージよりも強いくらい自分の曲になってしまっていて笑う。今回の選曲の中の1曲は、MySpace上で募った『矢野さんこれ歌って!』キャンペーンによって寄せられたファンのリクエストで『さあ冒険だ』だという曲。採用された人の名前がアルバムにクレジットされるということもあって、自分もGrapefruitsMoonをリクエストしてみたけどあえなく落選。リクエストした「HIROKO」さんという名前のクレジットを確認して羨望のため息をついた。この『さあ冒険だ』は、「ポンキッキーズ」の主題歌であり作詞:森高千里with S.Itoi(糸井重里)、作曲:カールスモーキー石井、唄:和田アキ子という凄い取り合わせ。そんな曲に矢野さんがコラボすることだけでもワクワクしてくる。
そんなカバー曲たちの中にあって、唯一矢野さん自身が作詞作曲の曲である『きよしちゃん』
きよしちゃん、いい曲だね きよしちゃん
きよしちゃん、いい歌だね きよしちゃん
この手をはなさない はなしてはいけない
ことばはいらない
Everything is gonna be alright
We'll do everything to end this fight
この曲の作曲時期はいつだったのだろう?
「どうしたんだい、ヘイヘイ、ベイベー・・・ヘイヘイ、ベイベー」
歌詞カードにも載ってないつぶやくように静かにフェイドアウトしていくアッコちゃんのこの歌声は、
でも、それは最後まで前を向いて、自ら(そして僕ら)を励ます声のようにも感じ聞こえた。
2009年08月26日
LIFE 井上陽水 第二夜 麻雀、亡き人々、最後のニュース
「みなさん、お元気ですか?」と当時の自分がフィードバックした。
その頃から気づかないうちに陽水さんへの憧れがあったのかな?
今夜は井上陽水に影響を与えた魅力ある偉大な大人たちのお話。
麻雀の師匠としての阿佐田哲也。
酒と女の師匠としての吉行淳之介。
酒と麻雀と社会の師匠としての筑紫哲也。
怒っちゃ負け、自慢したら負け、喜んじゃ負けという大人の哲学を学ぶ。
それから音楽について。
音楽、声の師匠としてのジョン・レノンの存在。
ジョン・レノンという師匠を失った喪失感の大きさを語り。
そして『帰れない二人』
陽水さんが語る忌野清志郎氏についての話しは、人間としての尊敬が溢れていて。
楽しく微笑みながら歌う二人の姿を見ていて、喪失感がくりかえされる。
『心もよう』のB面だったことは知らない自分としては、
なぜか牧瀬里穂の少し寂しそうな微笑みが脳裏に浮かんだり、
こおろぎ鶴瓶さんと天国へ旅立つイメージが頭の中でだぶりながら、
もうただただこの名曲と陽水、キヨシの二人に胸が締め付けられた。
2009年06月20日
ぼくらの音楽 忌野清志郎
いったい、いつになったら穏やかな気持ちになれるのか?
普通にその音を、映像を楽しむことができるまで、あとどのくらいの時間が必要なのかなぁ。
TVで、ラジオで、街で店で、曲が流れる度に、胸がきゅーっと苦しくなる。
「ぼくらの音楽」の映像に、ことさら密度の高い時間が流れる。
あんな構成、ちょっと卑怯だけど、いい番組だったな。
そういえば、今まで『エンジェル』という曲は、何度も何度もこっそり歌ってきた気がする。
カラオケが苦手な自分としては、ありえないくらいの回数かもしれない。
そんな記憶の断片が蘇り、かみしめながら、落ち込み、
余韻に浸りながら元気になろうとする。
この感覚は、まだしばらく再生されつづけるだろうな。
[忌野清志郎 works]
VTR1 『宝くじは買わない』
VTR2 『雨あがりの夜空に』
VTR3 『デイ・ドリーム・ビリーバー』
VTR4 『君が僕を知ってる』
VTR5 『I Shall Be Released』
VTR6 『エンジェル』
2009年05月09日
忌野清志郎・アオヤマ・ロックンロールショー
自分で見て聞いて感じたことでもない出来事の記憶を、
それが記憶と呼んでもいいモノなのかもわからない「何か」だとしても、
自分なりに残しておくことで、気持ちにひとつの区切りをつけたいという気持ちで。
「本日は忌野清志郎青山ロックンロールショーにお越しいただき、ありがとうございます」
「今日は素晴らしい1日になるでしょう。最後までお見送りください」
こんなアナウンスに、大きな歓声が湧いたそうだ。
「清志郎らしく、明るくにぎやかに送ってやってほしいです」
(葬儀委員長・個人事務所、相沢自由里社長)
「忌野清志郎さんが死んだなんて絶対に受け入れることはできません。でも本当なんですよね」
「みんな清志郎さんが大好きです。僕は忌野清志郎と友達なんだぜって自慢したいです。ずっとずっと自慢してていいですよね。清志郎さん」
「抗ガン剤の副作用で髪が抜け落ちた際、「全部抜けると剛毛なんだぜ」と話してくれた」
「清志郎さん、ボス、キング、ゴッド、ずっとずっと、僕たちは清志郎さんが大好きです」
「清志郎さん! またね!」
(竹中直人さん)
「あなたが言っていた愛と平和の日が一日も早く来るようにリードしていってください」
「清志郎さん、本当にお疲れさまでした。本当に本当にありがとう」
「時々空の上から『愛し合ってるかーい!』と問い掛けてください。『OK、ベイビー。最高だぜ』と答えられるよう、あなたのように強く、優しく、楽しく生きていきます」
「愛し合ってるか〜い?」
(大竹しのぶさん)
「清志郎、あなたとの思い出にろくなものはございません。突然呼び出して知らない歌を歌わせたり、今思えば冗談だったんだ。今日もそうだ。ひどいよ、この冗談は」
(甲本ヒロトさん)
「青春のすべてだった。今日は清志郎がここに連れてきてくれたのだと思う。ありがとうと言いたい」
(長野県からきた保育士さん)
「献花した時に涙が止まらなかった。認めたくなかったけど、清志郎の死を受け入れることができました」
(岡山市からきた会社員)
「自分もガンを患っている。清志郎さんがガンと闘う姿に自分を重ね合わせてきた。清志郎さんの生き方は最後まで本当に見事だった。本当にありがとう」
(埼玉県からきたニットデザイナー)
「清志郎と出会って音楽が好きになった。自分もアマチュアで歌っている」
(アルバイトの女性)
「高校時代、屋上に一人でいるような世間から外れた人間だった。清志郎さんの音楽に出会い、人に対して笑ったり、怒ったりすることが怖くなくなった」
(愛知県からきた幼稚園勤務)
「ありがとうの一言に尽きます。これからもずっと一緒なのでさよならは言わない」
(千葉県から来た女性)
「清志郎さんはいつも命がけで歌っていた。これからは私たちがそんな清志郎さんの姿を伝えていきたい」
(横浜市の女性)
「誰かのお葬式ですか。こんな長い列は初めて見ました」
(外国人の男性)
「僕のアパートに彼を呼んで、僕がカレーを作って食べたのを覚えている。無口でぶっきらぼうでシャイで、優しい。彼なりのダンディズムがあった。亡くなって残念。若かった」
(井上陽水さん・自身のコンサートにて)
そして「帰れない二人」をアコギ一本で歌ってという。
「デビューがほぼ同時期で、僕らはハーモニーのグループでしたが、RCサクセションはパンクロック。正反対の表現方法でどこにいても目立つ存在でした」
(南こうせつさん・日比谷野音にて)
「告別式もパーっとやった方が、キヨさんもうれしいと思う。最高のライブ」
(及川光博さん)
「残念。僕の唯一のロックアイドルだった」
(サンプラザ中野くん)
「(自転車で)一緒に走ることができなかった」
(鶴見辰吾)
放送禁止用語なんかで因縁深かったFM東京(TOKYO−FM)が、告別式をラジオで生中継したという。
遺影に、「イェーッ!!感謝For You!」と直筆文字をプリントしたポストカードを配布。
「帰ってこいー」と叫ぶ人、
ギターを取り出し、「雨あがりの夜空に」を歌う人、
ビール片手に酔っぱらう人、
紙吹雪を投げる人、
ホラ貝を吹く人、
両手を挙げて拍手する人、
おえつを漏らさないようハンカチで口をふさぐ人、
7時間も列に並んでやっと献花できたという人、
涙を作り笑いで隠し、手拍子、足踏み、指を鳴らして、故人を天国へと送り出していたという。
今日、今現在も、参列の人が途絶えなてないらしい。
人それぞれの悼みかたによって、故人の存在がより強く浮き彫りになることを感じた今日。
「感謝します。どうもありがとう。」
2009年05月05日
向こう側までの距離と時間、その使い方
忌野清志郎さんが亡くなることになる日の前日深夜、いやもう当日早朝だった。
深夜までの仕事を終え、帰宅して時計を見ると既に午前3時を回っている。
帰宅すぐはいつも神経がすこしだけ興奮状態にあり、その熱がさめるまでの間だはいくらAM3時でも寝付くまでにはまだしばらくの儀式が必要な普段。
いつもなら眠剤の力を借りて強制的に床につくのだが、その深夜は、なぜだか寝るにはまだ物足りないような気分であり、でも時間的には翌朝が危なすぎる。
なのにTVをつける。そしてリモコンのボタン割り当てにも設定しないムービープラスなのに、引き込まれたようにチャンネルを合わしていた。
めずらしいドイツ語の映画がやっていた。
まさか、あの映画?『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』なの?
ulalaさんに絶対観ると誓ってから、どんどん先送りされていたこの映画。
そしてTSUTAYAに借りに行って在庫切れとからぶりに終わってふてくされたあの映画。
もう縁がないのかと思っていた。
現在時は3時40分くらい。
このタイミングは、これは見なくてはいけない。これもは神様の啓示だ。(なんて無理やり思いこむ)
もう明日のことは・・・いや今日のことはどうにでもなる。
面白くなかったら寝ているだろうし、面白かったら、見るべきなのだ。
観た。もう外は明るくなりつつある。ひんやりした朝にけだるい身体。
想像していたイメージに近い映画だったように感じた。
でもそれは、だいたいのストーリーのイメージがあったためもあるが、そんなに悪い意味ではない。
自分の期待の高さに十分答えてくれたように思う。
導入部分が思いっきり長い音楽PVであるような感覚に陥る。
その前振りも最後に出てくる曲の登場を十分演出してくれた。
ラストは静かに静かに震えた。
そして、見終わった後に、あと自分が生きられる時間についての想像を強制させられた。
何を残して人生を全うすることができるのかを考えた。
もしかすると死んでいたかもしれないあの時、「もう一度だけチャンスを下さい」とはじめて神というもの(なんの神かはよくわからない)に祈った夜の事を思い出した。
チャンスをいただいた自分は、その計らいに対して、いったい何を報いることができたのか?
その夜のニュースに、どうしてキヨシローが逝くことがそんなに虚しく不条理に感じたのか?
それはあんなに祈って戴いたチャンスを大事にしていない自分への苛立ちと恥ずかしさなのだろうか。
つい、この先残された時間を計りながら思ってしまう。
かっこよく生きたいと深く思う。
2008年11月11日
帰れない二人
自分の中で、思いで深いの名曲の一つ「帰れない二人」に気がつき、思い出していたところ、
それが今日、偶然テレビで映画「東京上空いらっしゃいませ」が放映されていて、ちょっとびっくりだった。
おかげで、主題歌の「帰れない二人」を聴きたくて、明日のことなどまったく考えずの予定外な夜更かしをしてしまった。
東京上空いらっしゃいませ
アルバムには井上揚水のクレジットになっているこの曲。
井上陽水、忌野清志郎が共に作詞、作曲を共作しているめずらしい曲。
揚水さんは、小泉今日子の「月ひとしずく」でも同じように奥田民生と共作していたのを思い出す。
音楽的に惹かれあった者同士が、作詞も作曲も一緒にコミュニケーションとりながら一曲を作っていく様子を想像すると、とてもうらやましい関係に思えてならない。
愛を謳おう/忌野清志郎 with 井上陽水
今は亡き相米慎二監督のこ映画はは、たぶん牧瀬里穂の出世作だったかなと思うけど、17才の新人女優にしてすごい存在感だなとおどろく。いい女優さんだな〜。
劇中に流れる「帰れない二人」は、
もの悲しい歌詞にメジャーバラードの組み合わせが、いっそう哀しさを引き出して、
さわやかで悲しい映画の内容にあまりにも合っている。
場面場面で、この曲を加藤登紀子が歌い、憂歌団・木村充揮が歌い、牧瀬里穂が歌う。
やっぱりこの曲があって成り立つ映画なんだなぁと、本当に久しぶり観て堪能しました。
それにしてもこの二人、音楽界の宝だな。
2008年10月15日
いい事ばかりはありゃしない
RCサクセションのこの曲を心の中で口ずさむのが、
かなり昔から癖になっていた。
それは儀式のようでもあり、魔法のおまじないのようでもあり、
口ずさみ終えるとスッパリ気持ちを切り替える。
そしてあとは復活の巻き返しのみなんだな。
「いい事ばかりはありゃしない」
作詩:忌野清志郎 作曲:忌野清志郎
いい事ばかりはありゃしない
昨日は白バイにつかまった
月光仮面が来ないのと、
あの娘が電話かけてきた
金が欲しくて働いて眠るだけ
いい事ばかりで笑ってりゃ、裏目、裏目で泣きっ面
かわいそうに、あの娘にも逢えないし
手紙を書くような柄じゃない
金が欲しくて働いて 眠るだけ
昔にくらべりゃ金も入るし
ちょっとは倖せそうに見えるのさ
だけど忘れたころにヘマをして
ついてないぜと苦笑い
金が欲しくて働いて眠るだけ
新宿駅のベンチでウトウト
吉祥寺あたりでゲロを吐いて
すっかり酔いも醒めちまった
涙ぐんでもはじまらねえ
金が欲しくて働いて眠るだけ
最終電車でこの町についた
背中まるめて帰り道
何も変っちゃいない事に気がついて
坂の途中で立ち止まる
金が欲しくて働いて眠るだけ