嘉手苅林昌
2008年12月09日
ナビィの恋
久しぶりに観ました。
沖縄在住の中江裕司が監督したこの映画『ナビィの恋』。
はじめてこの映画を観た時はまだ今ほど沖縄民謡についての知識が少なく、嘉手苅林昌さんも大城美佐子さんすらも知らない頃だったので、沖縄の自然や色彩の美しさに目がいったり、随所にでてくる琉球語を翻訳した字幕などのカルチャーギャップを感じる程度の印象だった。その後、色々な沖縄民謡に触れる機会があり、覚えた曲も増えている自分が観たこの映画は、全く違う楽しみ方ができ、以前とは比較にならないほど作品の良さに触れることができた思いだ。
ナビィの恋は音楽ドキュメンタリーと寓話を合わせたような不思議な映画だなぁと。
いろいろなバージョンで唄われる『国頭ジントーヨー』『十九の春(じゅりぐぁ小唄』、そしてラストのカチャーシー『アッチャメー小』に至るまで、全編に沖縄の音楽を感じることが出来る。さらに出てくる音楽が島唄にとどまらず、アイリッシュ民謡やオペラ・カルメンやトラディショナル溢れる幅広い音楽がちりばめられる。山里勇吉と島人バンドで奏でられる、島唄バージョン『ロンドンデリーの歌』も味があって、フランクシナトラやビルエバンスもやっていたあの『ダニーボーイ』が沖縄の文化と交わるというこの刺激が、強く心の中に刻まれた。「音楽には国境が無い」とよく言われるけど、音楽にとって、いかにその国特有の伝統や文化が大きく関わり、大切であるかを改めて感じた。
自分は最近沖縄民謡を聴きだしたにわかファンなので、この映画では嘉手苅林昌、大城美佐子、林昌さんの息子さんの嘉手苅林次さんくらいしか知識がなかったのだが、平良とみ演じるナビィの旦那役の登川誠仁さん略歴を見て驚く。「8歳で喫煙・9歳で飲酒を始める」「11歳でカチャーシーをマスターする」凄い早熟な人なんだと。そして彼は”沖縄のジミヘン”と尊敬されているらしいことも知る。
そして、敬愛する嘉手苅林昌さんが亡くなったのは1999年10月9日。この『ナビィの恋』が公開されたのが1999年12月4日ということなので、おそらく林昌さんの最後の映像だったのだろうことも知った。雨の縁側で林昌さんと大城さんが並んで三線をひき唄う印象的なシーンが頭に焼き付く。これは自分にとっても貴重な印象深いワンシーンとなった。
2008年11月03日
OKINAWAN SHIMAUTA QUEEN 大城美佐子
「亜熱帯の風景の中に解き放たれ、果実となって送り届ける」
「オキナワンブルースが映像詩となった希有なドキュメンタリーがここにある」
前にも紹介した「嘉手苅林昌 唄と語り」と同じく高嶺剛監督とのタッグによるドキュメンタリー。
高嶺剛監督の沖縄、島唄に対する愛情が感じられる映像と音が心地い。
嘉手苅林昌さんもそうだったけど、大城さんも若いときは不良だったとの告白からはじまる。
でも、それは毛遊び(もうあしび)という深夜に歌い踊りという遊びで、
その毛遊びに明け暮れるという、歌が好きな不良であって。
「嘉手苅林昌 唄と語り」の時の市場での映像も挿入されていましたが、
大城さんと林昌さんの深い深い繋がりがここでも垣間見られます。
そしてもちろん「白雲節」も収録されています。
「ハワイで白雲節を歌っている最中に沖縄の風景が目に浮かんできて、飛んで帰りたくなって涙が出た。」
という、これはもう白雲節を地でいくエピソードもあり、よかったなぁ。
2007年11月22日
嘉手苅林昌「唄と語り」
嘉手苅林昌 唄と語り
天才、嘉手苅林昌と、鬼才、高嶺剛とのコラボで生まれた快作だと思います。
沖縄の魂、島唄の神様と称される人間・嘉手苅林昌(カデカル リンショウ)を静かに描かれていて、沖縄音楽を語る上では重要な映像になってくるのではないかと素人ながら感じてしまいました。
作中、同じ島唄の女王と言われる大城美佐子との語らいも印象的でした。
沖縄の文化としての島唄を守って行きたいという気持ちと、沖縄の人々にとってその時代時代での日常や教訓を語り伝える術であった島唄が時代に合わせて形を変えていく、ということへの理解。
沖縄音楽、琉球民謡の行く末を本当に大切に見守りたいという気持ちが感じられて、感銘を受けました。
そして何よりも素晴らしいのが全編で演奏される林昌さんの三線と唄です。
年を重ねていかなければ出ないであろう歌声の味わいと深み。
決してピッチは正確だとは思えないのに、どうして琉球民謡はそれが味わいに変わるのでしょうね?
さらに引き付けられたのが彼のクールなルックス。
相当遊んできた人なんだろうな。
あれだけ年をとっていてもなお現役の香りがしていいですね。
でも残念ながら、1999年に亡くなっているとの事。
見たかった、聴きたかった、生の林昌さんを。