2009年03月03日
LAZY FELLOW / 藤井一彦
先日、Dr.Xに出会ったあの警固公園が、いつのまにか1日派遣村の地に変貌した様子をテレビニュースで目にする。今、のんびりサックス演奏を楽しむ場ではなくなったのは間違いないだろう。
つい2ヶ月前、会社を辞めるときに今となっては元同僚と交わした会話。
「これからどうするの?」
「ま、とりあえず派遣村でも入るかな〜」
「東京まで行く金あるの?」
こんな馬鹿話の記憶がよみがえり、罪悪感を覚えはじめる。
また、それか、今になってやっと気がついたのか?自分。
政治・行政には疎いので、いくら新聞・報道などでデタラメな記事を目にしながらも、なんとなく支持母体の力学、行政のさじ加減などがバランスを取りながら、うまく大多数の人々の利益に繋がるようなっている気がしていた。でも、そのバランスはちょっとした方向転換であっても、こんな蟻のような自分の身にとっては、その生活を左右しそうな事態なるなんて、あまりイメージできなく。これまでは。
何度も書いたかかもしれないが、目線の異なる社会が複雑に沢山あって、そしてそれぞれの思惑、保身による行動心理にも基づく綱引きがあり、その綱引きに引きずり込む側と、引きずり込まれる側、さらに綱引き自体に参加できない人々がいて。このやりとりをジャッジする審判と、その審判に影響を持つ興行主と、綱引きを賭博の対象として富を得る胴元もいそうで。
でも自分の正義は?と聞かれたら、
「目先の利益、幸福を追い求める」
と答えてしまいそうなので、あまり答えたくないのが情けない。
この2週間、新しい仕事のために走り回って情報を集めて、一気に夢膨らませ、はやる心をなんとか自制しつつ、それでもこれから放つ矢のため、弓矢の弦を引き絞ろうとした瞬間に水をかけられたような状態になってしまった。ビジネスのリスクを取る、なんて立派なものではないが、失敗、修正を余儀なくされた場合のイメージは心の中にあったはず。なのにイザ急展開に直面すると冷静ではいられず、落胆し、そして次第に怒りのようなものが浮かぶ。そして、軌道修正をも想定した準備を怠ってきた自分の愚かさをつきつけられ、そして慌てる。組織、企業の傘の中にいないと、な〜んて不安定なんだ。またひとつ実感する。
(これが今の自分の「現在地」)。
さあ明日は軌道修正だ。気分を変えよう。
自分の望む人生を生きていくのは難しいものだと思う。
ミュージシャン藤井一彦は、どんな現実の中で音楽を続けているのだろう?
人生山有り谷有り、熱く燃えがったり冷水を浴びせられたり。
自分の人生振り返ると、絶対この先も「クール」なイメージの生き方は出来ないだろうと諦める。
ならば「熱い人生」なら歩めるのか?歩めているのか?それもちょっと違うような気がして。
そうすると「クールな生き方」と「熱い人生」は、必ずしも対義ではないなぁと適当な理解をする。
そして、そのどちらも兼ね備えた生き方ができれば、それは幸せ?かどうかは別にしても少なくとも密度の濃い人生にはなりそうだなと。
音楽への熱とクオリティを保ちながら、それを継続する生活を守りながら活動する藤井さんの音楽が、自分に与える力について考えながら聴いてしまった。
少し前に手に入れて、まだ聴いてなかったCD。
このところバタバタしていたので、落ち着いた時にゆっくり楽しみたいと思ってお取り置きの1枚。
でも、結局不安定な自分の状態を解消したく、救いを求めるような思いになる。
LAZY FELLOW/藤井一彦
グルーヴァーズとはまたひと味違うこのソロアルバム。
1.HELLO LAZY FELLOW
2.確信犯的ストレイ・シープ
3.憂国の口笛
4.今を行け
5.ウェイティング・マン
6.MOON RIVER
7.clover
8.サムタイム
全編、ほぼ弾き語りに近いアコースティックギターでの曲々。
1曲のスタンダードカバー、1曲のオリジナルカバーの1曲を除いてオリジナルナンバーを聴かせてくれる。
曲がいい。ギターが良い。歌声がいい。
初めて聴く曲も、心にすーっとメロディーが入ってくる。
生ギター1本でも、疾走感といいノリといい、ロックそのもの。
「憂国の口笛」なんかは、藤井一彦でなきゃ出来ないようなカッコイイ曲。
どの新曲もGrooversで演奏するとどうなるのか?夢想してしまう。
The Grooversのセルフカバー「ウェイティング・マン」は、アコースティックにしてもこんなにカッコイイ曲だったのか!という思い。
「カッコイイ」連発なんてつくずく語彙貧困だと恥ずかしいが。
唯一他人の曲になるのは、オードリー・ヘプバーンの映画『ティファニーで朝食を』の『ムーン・リバー』。
今まで聴いたことがないドライなギター&ヴォイスのムーンリバーに仕上がっている。
こんなに美しい曲を、まさにcool!に仕上げるセンスはさすがだな〜。
それにしても、Grooversのアコースティック、ムーンリバー・・・なんかノスタルジックな感情が入ってないわけではないが。いわゆるロックミュージシャンのアコースティック版とは、緊張感が違う気がした。
3月13日、ライブに行く予定。楽しみ楽しみ。
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by ulala 2009年03月05日 17:20
うらやましいです。
ライブ楽しんできて、またいろいろ聞かせてください。
今は、病院の院長ヅラして、多くの職員も抱えてますが、この診療所ってヤツも医者こけりゃ皆こける、という意味においては零細企業であります(うちは家人も内科の医者なので、そうでもなかったか・・)。
でも、この思いは結局誰に言っても共有できないんだという、諦念と誇りみたいなものは、10年やってると少しずつではありますが培われてゆくもんです。
自分のスタンスに嘘をついてるかそうでないか、自分にhonestかそうでないか、わかるのは自分しかいないんですよね。
ライブ楽しんできて、またいろいろ聞かせてください。
今は、病院の院長ヅラして、多くの職員も抱えてますが、この診療所ってヤツも医者こけりゃ皆こける、という意味においては零細企業であります(うちは家人も内科の医者なので、そうでもなかったか・・)。
でも、この思いは結局誰に言っても共有できないんだという、諦念と誇りみたいなものは、10年やってると少しずつではありますが培われてゆくもんです。
自分のスタンスに嘘をついてるかそうでないか、自分にhonestかそうでないか、わかるのは自分しかいないんですよね。
2. Posted by shira-kumo 2009年03月06日 00:22
ulalaさん、お疲れさまです。
最近何故かいろいろなお医者さんに出会うことが出来て、いっぱい刺激を受けているのですが、改めて「医師」という職業に対して畏敬の念を強く抱きます。でも色々話しを聞くうちに、どうも割に合わない職業のような気もしてきて。社会的地位や報酬などを加味したとしても、膨大な勉強量もそうだし、患者さんの身体に対する責任をしょいながら、経営という責務にもしばられて。行政からは苛められ。ばたばた倒産する病院も出てくる世の中。想像するだけで重いです。もちろん自分の想像はほんの一面に過ぎないでしょうが。
やっぱり「誇り」ってやつが砦なんでしょうか。
その一点で、うらやましいご職業だと思ってしまいます。
blogも結局は自分に嘘をつくかどうか?で自分にとっての価値が決まるような気がしています。
やっと気づいたのか?オマエ?と言われそうですが。(笑)
最近何故かいろいろなお医者さんに出会うことが出来て、いっぱい刺激を受けているのですが、改めて「医師」という職業に対して畏敬の念を強く抱きます。でも色々話しを聞くうちに、どうも割に合わない職業のような気もしてきて。社会的地位や報酬などを加味したとしても、膨大な勉強量もそうだし、患者さんの身体に対する責任をしょいながら、経営という責務にもしばられて。行政からは苛められ。ばたばた倒産する病院も出てくる世の中。想像するだけで重いです。もちろん自分の想像はほんの一面に過ぎないでしょうが。
やっぱり「誇り」ってやつが砦なんでしょうか。
その一点で、うらやましいご職業だと思ってしまいます。
blogも結局は自分に嘘をつくかどうか?で自分にとっての価値が決まるような気がしています。
やっと気づいたのか?オマエ?と言われそうですが。(笑)