2009年02月15日
コルテオ 〜行列〜 / Salyu
コルテオ 〜行列〜/HALFWAY / Salyu
これはSalyuが凄いのか、それとも小林武史が凄いのか。
声質のなめらかさ、強さ、色合いの表現力、ポップスボーカリストの究極とまで感じてしまうことがある。
そして、こういう音を聴かされると理不尽にも嫉妬の念を禁じ得ない。
Salyuは自身ではほとんど楽曲、詩を創作することがなく、歌を奏でることに専念しているようだ。
要は音楽活動への力のかけどころを客観的に分析できているのだろう。
そしてそれ故に、楽曲がおのずと厳選されてくるのかとも思ってしまう。
個人的には小林武史の楽曲には「雰囲気にだまされてはいけない」と心のどこかにフィルターをかけて聴いてしまう悪しき習性があるのだが、そのフィルターを易々とくぐり抜けて、数多くの楽曲が自分の心に届いてしまう。
そういう自分なので、Salyuが好きになった理由には小林武史プロデュースだという認識は全くなかった。
それなのに、音楽的に好きだった映画『リリイ・シュシュのすべて』でのLily Chou-ChouがSalyuで後ろに小林武史がいた。
CHARAが好きでアプローチした岩井俊二『スワロウテイル』の音楽監督がこれがまた小林武史。
さらに浅田次郎が好きでアプローチした映画『地下鉄に乗って』のラストで流れたSalyuの『プラットホーム』に不覚にも涙を流させられてしまうのだが、ここにもまた小林武史の存在があった。
もっとさがせば、MY LITTLE LOVERのAKKOの歌声も好きだし一青窈にもなぜか惹かれるものがある。曲、歌、そして恐らく容姿までもツボだともいえそうだ。
考えてみると自分はそんな小林武史に嫉妬しているのか?
音楽的に認めたくない部分があるというのも偽りで、AKKOや一青窈に対して音楽でも男女関係でも深い繋がりを持った彼に対する憧れの裏返しでもあるのだろう。
恐らく小林武史に対して曲やプロデュースに関して一切の信頼をおいているであろうSalyuも、男女の仲といってしまうと下世話になってしまうが、ある意味愛情関係でつながっていると思えてしまう。
自分が尊敬と愛情を注げる対象に対して全力で向き合う、そんな理想的な状態に持っていくことが小林武史のミュージシャンへのアプローチであり、良い作品を生み出すための力になっているのだろう
・・・と、とりあえずそんな当たり前な理由付けあきらめをつける。
結局、小林武史の生み出す音楽を自分は好きなのだろう。
やっぱり認めたくないという往生際悪い気持ちがありながら、
確実に至福を感じてしまうだろう次回作を心待ちにさせられる自分の心にふりまわされる。
またやられてしまうのだろうなぁ。
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1. http://cirquedusoleil.kachidoki.biz/ [ シルクドゥソレイユ ] 2009年03月14日 19:14