2008年12月
2008年12月19日
最終回・風のガーデン・緒方拳と中井貴一と平原綾香
つるつるの壺
2008年を振り返るには自分にはまだ無理な気がした。
年末までのイベントがまだたくさんあるという理由ではなくて、これまで出来事の整理をないがしろにして、いき当たりばったりで目の前の処理はこなし、目の前のやっかいな問題を無視しつづけて最後に大きなつけが回ってきたりもしいる状態だった一年、そんなに総括できるものではない。
今まで酒を飲んでいて、もうよくわからない。
ブログの中にいて戯れ言を聴いてくれる人にくだをまくことにする。
不運にも読んでしまった人は、気にせずコメントなどもスルーして下さい。
先にあやまりますます。
自分はキャパの小さい人間だ。
弱くいくせに自尊心をちらつかせるから、言葉に重みがない。
そんな自分も、病で倒れた。そして仕事も辞めた。
頭が狂ったかと思って、恐怖を味わった。
記憶喪失を味わった。
手が動かなくなりギターが弾け無くなくなり立てなくなり呼吸が苦しくなり言葉がでなくなった。
救急車に2回乗った。
何かがぶち切れて、多くの人に迷惑をかけたり、親の敵のように恨まれて怒鳴り込まれたり、目の前で人に泣かれても、チキンレースのように自分のなかのリミッターをはずして戦い続けた。
初めて弁護士にやりこめられる恐怖を感じた。
初めて詐欺にあって警察署に出向いたとき、なめた態度の警察官に適当にあしらわれて憤慨した。
本当はそんな道を歩んできた人間ではなかったのに。
ブログはじめて一年。
当初なんもかも投げ出したい気持ちと、逃げ場を求めてブログを始める。
半年で早くも続かなくなり、その半年後また逃げ場にもどってきた。
「もっと音楽に浸りたい。 音楽だけ聴いていたい。 そう願ってやまない日々です。」
この言葉からして逃げ場を探していたのは明らかだな。
この一年、実際はどうだったんだ?
手の震えが90%止まった。これでまたギターが弾ける。
まっすぐ歩けるようになった。
週に4日は起きれる体力を取り戻した。
入院をしない一年だった。
夜徘徊がなくなった。
救急車にのサイレンを聞いても頻脈が起きなくなった。
過換気症も止まった。
胃カメラの検査結果は今回もセーフだった。
胃の激痛がほぼ止まった。
頭痛が激痛ではなくなった。
嫌なヤツとは和解できなかったが、縁を切れた。
矢野顕子の新譜を堪能した。
サンハウスを見た。
ライブ映画も映画館まで行っていくつか見た。
ストーンズをスクリーンで見た。
ルーリードをスクリーンでみた。
石橋、池畑、水戸華の介を生見した。
自分の曲を4曲つくった。
あがたさんのライブチケ予約入れた。
音楽をたくさん聴いた。
ライブにいくつか行った。
CDも買い続けた。(聴かないCDも)
作文不得意な自分が音楽をネタにしたブログを161記事書いた。
他人が行ったライブレポに便乗して、その人とネットでつながり温かい気持ちなった。
のべ20000人位のひとがブログを見てくれた。
なんだか痛いところの気持ちを察してくれる方まで現れてくれた。
新しいナイスなミュージシャンを紹介されて、うれしかった。。
曲を作って初音ミクに歌わせた。
好きな人に振られたが、いいふられかただった。
意外といい人が自分の周りにいることに気がついた。
体重が増えた。
なんかプラスマイナスでプラスやん!
また頭がふるふる、いや打ち間違いふらふら。
ダニーボーイの日と似ているな。この支離滅裂。くすりのk?いびいの:
明日見たらはずかしいだろうな。今日の記事。
年末までのイベントがまだたくさんあるという理由ではなくて、これまで出来事の整理をないがしろにして、いき当たりばったりで目の前の処理はこなし、目の前のやっかいな問題を無視しつづけて最後に大きなつけが回ってきたりもしいる状態だった一年、そんなに総括できるものではない。
今まで酒を飲んでいて、もうよくわからない。
ブログの中にいて戯れ言を聴いてくれる人にくだをまくことにする。
不運にも読んでしまった人は、気にせずコメントなどもスルーして下さい。
先にあやまりますます。
自分はキャパの小さい人間だ。
弱くいくせに自尊心をちらつかせるから、言葉に重みがない。
そんな自分も、病で倒れた。そして仕事も辞めた。
頭が狂ったかと思って、恐怖を味わった。
記憶喪失を味わった。
手が動かなくなりギターが弾け無くなくなり立てなくなり呼吸が苦しくなり言葉がでなくなった。
救急車に2回乗った。
何かがぶち切れて、多くの人に迷惑をかけたり、親の敵のように恨まれて怒鳴り込まれたり、目の前で人に泣かれても、チキンレースのように自分のなかのリミッターをはずして戦い続けた。
初めて弁護士にやりこめられる恐怖を感じた。
初めて詐欺にあって警察署に出向いたとき、なめた態度の警察官に適当にあしらわれて憤慨した。
本当はそんな道を歩んできた人間ではなかったのに。
ブログはじめて一年。
当初なんもかも投げ出したい気持ちと、逃げ場を求めてブログを始める。
半年で早くも続かなくなり、その半年後また逃げ場にもどってきた。
「もっと音楽に浸りたい。 音楽だけ聴いていたい。 そう願ってやまない日々です。」
この言葉からして逃げ場を探していたのは明らかだな。
この一年、実際はどうだったんだ?
手の震えが90%止まった。これでまたギターが弾ける。
まっすぐ歩けるようになった。
週に4日は起きれる体力を取り戻した。
入院をしない一年だった。
夜徘徊がなくなった。
救急車にのサイレンを聞いても頻脈が起きなくなった。
過換気症も止まった。
胃カメラの検査結果は今回もセーフだった。
胃の激痛がほぼ止まった。
頭痛が激痛ではなくなった。
嫌なヤツとは和解できなかったが、縁を切れた。
矢野顕子の新譜を堪能した。
サンハウスを見た。
ライブ映画も映画館まで行っていくつか見た。
ストーンズをスクリーンで見た。
ルーリードをスクリーンでみた。
石橋、池畑、水戸華の介を生見した。
自分の曲を4曲つくった。
あがたさんのライブチケ予約入れた。
音楽をたくさん聴いた。
ライブにいくつか行った。
CDも買い続けた。(聴かないCDも)
作文不得意な自分が音楽をネタにしたブログを161記事書いた。
他人が行ったライブレポに便乗して、その人とネットでつながり温かい気持ちなった。
のべ20000人位のひとがブログを見てくれた。
なんだか痛いところの気持ちを察してくれる方まで現れてくれた。
新しいナイスなミュージシャンを紹介されて、うれしかった。。
曲を作って初音ミクに歌わせた。
好きな人に振られたが、いいふられかただった。
意外といい人が自分の周りにいることに気がついた。
体重が増えた。
なんかプラスマイナスでプラスやん!
また頭がふるふる、いや打ち間違いふらふら。
ダニーボーイの日と似ているな。この支離滅裂。くすりのk?いびいの:
明日見たらはずかしいだろうな。今日の記事。
2008年12月16日
ザ・ローリング・ストーンズ『シャイン・ア・ライト』に思わず感涙
THE ROLLING STONES 'Shine A Light'
映画は好きだが、つい先日まで『ディパーデッド』の監督がマーティン・スコセッシだということも知らなかったくらいで、どう見栄を張っても映画通とはいえない自分。今回の『シャイン・アライト』もスコセッシだから見所は・・・みたいな先入観はまったく無く、でも前評判の良さに流されながら、また映画どころではなかったその日のスケジュールの中に、どさくさ紛れので勢いで入れ込んで、いつのまにかスクリーンの前に座っていた感じだった。
見終えての感想は、「とにかく122分間が瞬く間に過ぎていった。」
『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』で総毛立ったまま、最後のカメラが空へとフェードアウトしていくまで、決して中だるみがない。音楽ドキュメンタリーなので、物語の起承転結や、はらはらドキドキが有るわけでもない。ライブ演奏以外の古い映像も所々はあるが、ほぼライブ映画といっていい。恐らくスコセッシという監督のなせる技なんだろうけど、『シャイン・アライト』自体のライブ感、疾走感は、基本的には実際のライブハウスで1本体験した感じに近いくらい。狭い濃密な空間での一体感が、自分を観客の1人になったように錯覚させてくれるのだろう。小林克也氏が「小さな空間を大きく映し出す映画という手段のおもしろさ」というような事を語っていたのを思い出す。これがライブドキュメントの神髄なのではなかろうか?
ずっと昔、当時客の入れ替えがなかった映画館で、ストーンズの映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』を3周り飽きずに見たことを思い出すのだが、あの映画とは大きく違う感覚だった。『レッツ・スペンド〜』が上演されていた頃というのは、今ほど音楽映像が世に溢れてなく、また洋楽ライブに行く機会もなかなか無い状況で、「ストーンズのスタジアムライブ」という貴重感がたまらなかったのだと思う。youtubeで見つけたけど、そうだった、A列車のイントロからはじまる『アンダー・マイ・サム』だったなぁ。。。
くらべると『シャイン・アライト』でのパフォーマンスは、決して昔のような超人的パワフルなステージングではない。だけど緊張感があり、演奏者の佇まいの美しさ(芸術のようなキース・リチャーズのギターアクション!)、映像としての美しさがある。音も特にチャーリー・ワッツなんかべードラの厚みが予想外な感じで、歳を重ねるごとにかっこよい音になっているのではないか?と思ってしまう。そしてストーンズの曲が素晴らしいのはいまさら言うまでもないが、序盤すでに『As Tears Go By』が演奏された時は、相当やばかった。鳥肌がでてきて、そしてまさに涙がにじんでくるのを感じて。
身近にビートルズやストーンズをコンプリートしているような道楽者の従兄弟がいたので、自分が小学生の頃からこっそりLPを盗みだし、まさに盗み聞きの日々を送っていたものだ。今から思えば良い環境だったなと思う。『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』は特にお気に入りだった。この曲をきっかけに後追いでマリアンヌ・フェイスフルを聴きはじめることにもなったし。映画では確か曲が終わった後、「いい曲だろ?」みたいなことを優しく微笑んでつぶやくミック・ジャガー。マリアンヌ・フェイスフルとの思い出も、美しい思い出になっているのかなと想像したりもする。
個人的にひとつだけ残念な点は(これはどうしようもにことだが)ベースが空席になったままだということ。メンバー紹介でビル・ワイマンの名が呼ばれないことは、わかっていても寂しかったな。
『シャイン・ア・ライト(Shine a Light)』=『ライトを照らせ(邦題)』という事に実はラストまで気づいてなかった不甲斐なさに自己反省しながら、それでも「ライトを当てすぎるとミックが焦げちゃうぞ」という冒頭のスタッフミーティングのシーンとこのラスト曲『シャイン・ア・ライト(ライトを照らせ)』が最後に繋がり、終わった後も感動が尾を引く映画となりました。
映画は好きだが、つい先日まで『ディパーデッド』の監督がマーティン・スコセッシだということも知らなかったくらいで、どう見栄を張っても映画通とはいえない自分。今回の『シャイン・アライト』もスコセッシだから見所は・・・みたいな先入観はまったく無く、でも前評判の良さに流されながら、また映画どころではなかったその日のスケジュールの中に、どさくさ紛れので勢いで入れ込んで、いつのまにかスクリーンの前に座っていた感じだった。
見終えての感想は、「とにかく122分間が瞬く間に過ぎていった。」
『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』で総毛立ったまま、最後のカメラが空へとフェードアウトしていくまで、決して中だるみがない。音楽ドキュメンタリーなので、物語の起承転結や、はらはらドキドキが有るわけでもない。ライブ演奏以外の古い映像も所々はあるが、ほぼライブ映画といっていい。恐らくスコセッシという監督のなせる技なんだろうけど、『シャイン・アライト』自体のライブ感、疾走感は、基本的には実際のライブハウスで1本体験した感じに近いくらい。狭い濃密な空間での一体感が、自分を観客の1人になったように錯覚させてくれるのだろう。小林克也氏が「小さな空間を大きく映し出す映画という手段のおもしろさ」というような事を語っていたのを思い出す。これがライブドキュメントの神髄なのではなかろうか?
ずっと昔、当時客の入れ替えがなかった映画館で、ストーンズの映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』を3周り飽きずに見たことを思い出すのだが、あの映画とは大きく違う感覚だった。『レッツ・スペンド〜』が上演されていた頃というのは、今ほど音楽映像が世に溢れてなく、また洋楽ライブに行く機会もなかなか無い状況で、「ストーンズのスタジアムライブ」という貴重感がたまらなかったのだと思う。youtubeで見つけたけど、そうだった、A列車のイントロからはじまる『アンダー・マイ・サム』だったなぁ。。。
くらべると『シャイン・アライト』でのパフォーマンスは、決して昔のような超人的パワフルなステージングではない。だけど緊張感があり、演奏者の佇まいの美しさ(芸術のようなキース・リチャーズのギターアクション!)、映像としての美しさがある。音も特にチャーリー・ワッツなんかべードラの厚みが予想外な感じで、歳を重ねるごとにかっこよい音になっているのではないか?と思ってしまう。そしてストーンズの曲が素晴らしいのはいまさら言うまでもないが、序盤すでに『As Tears Go By』が演奏された時は、相当やばかった。鳥肌がでてきて、そしてまさに涙がにじんでくるのを感じて。
身近にビートルズやストーンズをコンプリートしているような道楽者の従兄弟がいたので、自分が小学生の頃からこっそりLPを盗みだし、まさに盗み聞きの日々を送っていたものだ。今から思えば良い環境だったなと思う。『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』は特にお気に入りだった。この曲をきっかけに後追いでマリアンヌ・フェイスフルを聴きはじめることにもなったし。映画では確か曲が終わった後、「いい曲だろ?」みたいなことを優しく微笑んでつぶやくミック・ジャガー。マリアンヌ・フェイスフルとの思い出も、美しい思い出になっているのかなと想像したりもする。
個人的にひとつだけ残念な点は(これはどうしようもにことだが)ベースが空席になったままだということ。メンバー紹介でビル・ワイマンの名が呼ばれないことは、わかっていても寂しかったな。
『シャイン・ア・ライト(Shine a Light)』=『ライトを照らせ(邦題)』という事に実はラストまで気づいてなかった不甲斐なさに自己反省しながら、それでも「ライトを当てすぎるとミックが焦げちゃうぞ」という冒頭のスタッフミーティングのシーンとこのラスト曲『シャイン・ア・ライト(ライトを照らせ)』が最後に繋がり、終わった後も感動が尾を引く映画となりました。
2008年12月12日
超高音の調べ
一句「あ〜今も、頭にはびこる蝉の声。」
昨日、耳鼻科医のお医者様である友人から忘年会のお誘いがあった。
スケジュールが合わず、お誘いは丁重にお断りしたのだが、話しているうちに最近自分を悩ましている耳鳴りの事を思い出す。耳鳴りの程度は、ロックのライブではOK、でもJAZZライブでは微妙、そしてクラシックでは・・悲しい状況で、バイオリンのはるか高音域の楽器の音が聞こえているような感じ。もちろん曲をまったく無視した響きで。日によって重い軽いはあるが、一度気になった時点でもう負けだ。
余談だが、音楽のプロである浜崎あゆみは、不自由している耳とどう折り合いをつけているのだろうか?ベートーベンの苦悩の程はいくばかりだったのか?
この切実な問題について電話でちょっと尋ねてみた。
「最近、高音域の耳鳴りが気になって・・・」
と切り出すと、ため息まじりに
「あ〜治療はむつかしいだろうなぁ。」
という後ろ向きな答え。なんとなく察しはついたが、気を取り直してもう少し説明してもらった。
説明内容を自分なりに整理してみる。
「耳鳴りは、多くは老化が原因で、なぜ聞こえてしまうのか、解明されてない部分が多い。」
「老化なら完治する確率は低いが、薬で改善されるケースもある」
「よくある聴力検査で流す音は、高い方から8000Hz、4000Hz、2000Hz・・・で、20dBずつ音量を上げてその音が聞こえ出す音量により度合いを判断する」
「超高音の電子音は4000Hzくらいで、ありえんくらいのキーンという高音なら8000Hzのほう。」
「老化で聞こえ出すのは通常8000Hz」
「突発性難聴(だったと思う)の場合はなぜか8000Hzは普通に聞え、耳鳴りがするのは4000Hzあたり」
面白かったのが、難聴とは音が聞こえるのではなく、聞こえなくなった帯域の音を補おうとして、耳が勝手に作り出すまぼろしの音という理解らしい。
そしてその耳鼻科医が私に問う。
「音楽好きみたいだから、アレじゃねぇ〜?」
「アレ」というのはもう察しがついている。白状するしかない。
「日頃ライブハウスのPA前で爆音を身体で感じることが好き。」
「ある時期まで、しょっちゅうスタジオでハウリングの不意打ち攻撃を受けていた。」
「スピーカーの大音量でマンション管理人から警告を受けて以来、もっぱらヘッドホン大音量。」
「SONY MDR-Z900などというモンスターを愛用し、やはりソニーMDR-XB700などという重爆音ヘッドホンを入手しようともくろんでいる。」
いままでさんざん耳を痛めつけてきたし、それにもう”老化がはじまっている”といわれてもムキに反抗出来ない年になってしまった。これでは観念するしかない。
もちろん一度検査することを勧められたが、とりあえず「ナリピタン」でも薬屋で買って飲んでみろだって。
ナリピタン 90錠
そうえいば、このナリピタンも楽天では買えなくなるのかな?
(注)上記の記事は、私の思い違い、勘違いもあるかもしれません。念のため。
昨日、耳鼻科医のお医者様である友人から忘年会のお誘いがあった。
スケジュールが合わず、お誘いは丁重にお断りしたのだが、話しているうちに最近自分を悩ましている耳鳴りの事を思い出す。耳鳴りの程度は、ロックのライブではOK、でもJAZZライブでは微妙、そしてクラシックでは・・悲しい状況で、バイオリンのはるか高音域の楽器の音が聞こえているような感じ。もちろん曲をまったく無視した響きで。日によって重い軽いはあるが、一度気になった時点でもう負けだ。
余談だが、音楽のプロである浜崎あゆみは、不自由している耳とどう折り合いをつけているのだろうか?ベートーベンの苦悩の程はいくばかりだったのか?
この切実な問題について電話でちょっと尋ねてみた。
「最近、高音域の耳鳴りが気になって・・・」
と切り出すと、ため息まじりに
「あ〜治療はむつかしいだろうなぁ。」
という後ろ向きな答え。なんとなく察しはついたが、気を取り直してもう少し説明してもらった。
説明内容を自分なりに整理してみる。
「耳鳴りは、多くは老化が原因で、なぜ聞こえてしまうのか、解明されてない部分が多い。」
「老化なら完治する確率は低いが、薬で改善されるケースもある」
「よくある聴力検査で流す音は、高い方から8000Hz、4000Hz、2000Hz・・・で、20dBずつ音量を上げてその音が聞こえ出す音量により度合いを判断する」
「超高音の電子音は4000Hzくらいで、ありえんくらいのキーンという高音なら8000Hzのほう。」
「老化で聞こえ出すのは通常8000Hz」
「突発性難聴(だったと思う)の場合はなぜか8000Hzは普通に聞え、耳鳴りがするのは4000Hzあたり」
面白かったのが、難聴とは音が聞こえるのではなく、聞こえなくなった帯域の音を補おうとして、耳が勝手に作り出すまぼろしの音という理解らしい。
そしてその耳鼻科医が私に問う。
「音楽好きみたいだから、アレじゃねぇ〜?」
「アレ」というのはもう察しがついている。白状するしかない。
「日頃ライブハウスのPA前で爆音を身体で感じることが好き。」
「ある時期まで、しょっちゅうスタジオでハウリングの不意打ち攻撃を受けていた。」
「スピーカーの大音量でマンション管理人から警告を受けて以来、もっぱらヘッドホン大音量。」
「SONY MDR-Z900などというモンスターを愛用し、やはりソニーMDR-XB700などという重爆音ヘッドホンを入手しようともくろんでいる。」
いままでさんざん耳を痛めつけてきたし、それにもう”老化がはじまっている”といわれてもムキに反抗出来ない年になってしまった。これでは観念するしかない。
もちろん一度検査することを勧められたが、とりあえず「ナリピタン」でも薬屋で買って飲んでみろだって。
ナリピタン 90錠
そうえいば、このナリピタンも楽天では買えなくなるのかな?
(注)上記の記事は、私の思い違い、勘違いもあるかもしれません。念のため。
乙女の祈り
毎週木曜22時は、『風のガーデン』を観る習慣になってしまった。
「人は最後に何処に還るのだろう。」
今あまり考えたくないテーマだけど、どうにも目をそらせない状態に。
ところで、ドラマ中にガク君が演奏するのが『乙女の祈り』。
乙女の祈り
誰もが知っているであろうこの曲なのに、ポーランド出身の「テクラ・バダジェフスカ」という作曲者の名前は全く記憶の中になかった。「バダルジェフスカ」とも表記されることもあるようだが、いずれも覚えがない。wikipediaによると生涯作曲した35曲のうち『乙女の祈り』以外、ほとんど戦災で失ったとか。18歳の時、まさに彼女が乙女であった年頃に作曲されたこの曲には、どんな祈りが込められているのだろうか?
でもこの曲に関しては、作曲者の祈りとは全く関係ないイメージが自分の中には埋め込められている。
それは「清掃車」のイメージ。
もう無条件に「清掃車」が頭に浮かんでしまうので、「風のガーデン」に全くそぐわないそのイメージ「清掃車」を「乙女の祈り」が流れる間、強制的に打ち消す思念を送り続ける。
どうしてそんな理不尽なイメージが植え付けられたかというと、幼少時、その頃住んでいた地区の清掃車は、「乙女の祈り」のオルゴール音を流しながら通行する決まり(?)があったようで、反射的に「清掃車が来た」と感じる神経回路が出来上がったのだと思う。しかもそのイメージは清掃車だけでなく、「清掃車の音を聞いていた部屋」までも一緒になって浮かんでくる。セピア色がかったイメージが。勝手に推理すると、清掃車が午前中くらいに巡回していたと仮定して、その午前中に自宅で過ごしていたというイメージからすると、まだ幼稚園にも行ってなかった頃の記憶ではないかと。自分の幼少時の記憶は、ギリギリ3歳くらいのものが残っているが、はじめて覚えた歌、曲というのは記憶がない。ということは、この「乙女の祈り」がわが人生ではじめて覚えた曲なのかもしれない、と考えると、そのきっかけからちょっと微妙な気がするが、まあそれは自分の基礎を作った頃の記憶として大事にすべきなのかも、と思い直したりする。
いずれにしても、『風のガーデン』の中でこの曲が出てくるたびに、自分の記憶を遮断しようと試るのだ。
「人は最後に何処に還るのだろう。」
今あまり考えたくないテーマだけど、どうにも目をそらせない状態に。
ところで、ドラマ中にガク君が演奏するのが『乙女の祈り』。
乙女の祈り
誰もが知っているであろうこの曲なのに、ポーランド出身の「テクラ・バダジェフスカ」という作曲者の名前は全く記憶の中になかった。「バダルジェフスカ」とも表記されることもあるようだが、いずれも覚えがない。wikipediaによると生涯作曲した35曲のうち『乙女の祈り』以外、ほとんど戦災で失ったとか。18歳の時、まさに彼女が乙女であった年頃に作曲されたこの曲には、どんな祈りが込められているのだろうか?
でもこの曲に関しては、作曲者の祈りとは全く関係ないイメージが自分の中には埋め込められている。
それは「清掃車」のイメージ。
もう無条件に「清掃車」が頭に浮かんでしまうので、「風のガーデン」に全くそぐわないそのイメージ「清掃車」を「乙女の祈り」が流れる間、強制的に打ち消す思念を送り続ける。
どうしてそんな理不尽なイメージが植え付けられたかというと、幼少時、その頃住んでいた地区の清掃車は、「乙女の祈り」のオルゴール音を流しながら通行する決まり(?)があったようで、反射的に「清掃車が来た」と感じる神経回路が出来上がったのだと思う。しかもそのイメージは清掃車だけでなく、「清掃車の音を聞いていた部屋」までも一緒になって浮かんでくる。セピア色がかったイメージが。勝手に推理すると、清掃車が午前中くらいに巡回していたと仮定して、その午前中に自宅で過ごしていたというイメージからすると、まだ幼稚園にも行ってなかった頃の記憶ではないかと。自分の幼少時の記憶は、ギリギリ3歳くらいのものが残っているが、はじめて覚えた歌、曲というのは記憶がない。ということは、この「乙女の祈り」がわが人生ではじめて覚えた曲なのかもしれない、と考えると、そのきっかけからちょっと微妙な気がするが、まあそれは自分の基礎を作った頃の記憶として大事にすべきなのかも、と思い直したりする。
いずれにしても、『風のガーデン』の中でこの曲が出てくるたびに、自分の記憶を遮断しようと試るのだ。
タグ:
乙女の祈り
2008年12月10日
JOAO公演中止と、ストーンズと、ひと区切り、の3個
昨日、12日からの来日公演にエールを送ったばかりだったのに。
またまた残念なお知らせがあった。これが今日の話題の1個目。
12月13日(土)、14日(日)に東京国際フォーラムで予定されていたジョアン・ジルベルトの来日公演が中止になった。中止の理由は、「来日に向け腰痛の治療を続けて参りましたが、ブラジル-日本間の長距離渡航が可能になるまで回復せず、やむを得ず」とのこと。
11月の公演が中止になり「12月こそは」という思いがあったでしょうが、ブラジル−日本という距離感すら湧かない距離は、77歳のお身体には厳しすぎるはずなのは明らかで。残念だけど正にやむを得ずというところか。むしろ11月中止の1ヶ月後にまた地球の裏から訪れようとトライしてくださったことに、日本と日本のファンに対する愛情も感じられて、嬉しくもあり恐縮してしまう。しかし自分が行く予定のライブではなかったので、こんなお気楽に語ってしまうのかもしれない。チケットをお持ちの方々で、そのチケットを払い戻さずに記念に持っていようとするくらいのファンもおられるかもしれない。複雑な気持ちだろうな〜。
2個目は映画。
ザ・ローリング・ストーンズ『シャイン・ア・ライト』を観ました。
明日にでもこのブログに感想を乗せようかな。
3個目は、今朝書いたダニーボーイの記事の内容。これはひどかった。
今現在、丸々2日は寝てないというのに、今の自分のほうが朝7時の自分より幾分ましらしい。youtubeを8個も並べて何をしたかったんだか、自分でも消してしまいたいくらい。でも、この恥ずかしい感覚は、そんな追い込まれていた状態から快方に向かいはじめた証かもと前向きにも考えてみる。
ちなみに先程8個同時に再生してみたら、まるでルーリードの『ベルリン』の入りの部分みたいなぐちゃぐちゃな感じがして、シラフなのにもどしそうな気分に。
今日で自分の中に持つ問題のハードルを一つ越えられた感じがする。それでも問題は山積みで、どこから片付けたらいいのか、まだ糸口をこれから探していかなければならない状態。
それにしても、今日は絶望、希望、緊張、興奮と、あと人の情の温かさを感じるジェットコースターのような一日を過ごさせていただいた。あとは深い眠りに落ちるだけ。
またまた残念なお知らせがあった。これが今日の話題の1個目。
12月13日(土)、14日(日)に東京国際フォーラムで予定されていたジョアン・ジルベルトの来日公演が中止になった。中止の理由は、「来日に向け腰痛の治療を続けて参りましたが、ブラジル-日本間の長距離渡航が可能になるまで回復せず、やむを得ず」とのこと。
11月の公演が中止になり「12月こそは」という思いがあったでしょうが、ブラジル−日本という距離感すら湧かない距離は、77歳のお身体には厳しすぎるはずなのは明らかで。残念だけど正にやむを得ずというところか。むしろ11月中止の1ヶ月後にまた地球の裏から訪れようとトライしてくださったことに、日本と日本のファンに対する愛情も感じられて、嬉しくもあり恐縮してしまう。しかし自分が行く予定のライブではなかったので、こんなお気楽に語ってしまうのかもしれない。チケットをお持ちの方々で、そのチケットを払い戻さずに記念に持っていようとするくらいのファンもおられるかもしれない。複雑な気持ちだろうな〜。
2個目は映画。
ザ・ローリング・ストーンズ『シャイン・ア・ライト』を観ました。
明日にでもこのブログに感想を乗せようかな。
3個目は、今朝書いたダニーボーイの記事の内容。これはひどかった。
今現在、丸々2日は寝てないというのに、今の自分のほうが朝7時の自分より幾分ましらしい。youtubeを8個も並べて何をしたかったんだか、自分でも消してしまいたいくらい。でも、この恥ずかしい感覚は、そんな追い込まれていた状態から快方に向かいはじめた証かもと前向きにも考えてみる。
ちなみに先程8個同時に再生してみたら、まるでルーリードの『ベルリン』の入りの部分みたいなぐちゃぐちゃな感じがして、シラフなのにもどしそうな気分に。
今日で自分の中に持つ問題のハードルを一つ越えられた感じがする。それでも問題は山積みで、どこから片付けたらいいのか、まだ糸口をこれから探していかなければならない状態。
それにしても、今日は絶望、希望、緊張、興奮と、あと人の情の温かさを感じるジェットコースターのような一日を過ごさせていただいた。あとは深い眠りに落ちるだけ。
Danny Boy な夜。
先日のナビィの恋で聴いた懐かしのアイルランド民謡『ダニーボーイ』。
眠れぬ夜をひたすらこのMy Soul Songをyoutubeで探して、ただただ聴き続けた。
もう夜空に白みがさしはじめる時間。
いつもの倍の安定剤と導入剤に頼ったのに、
今日一日に下す自分のヘビーな選択に対する気持ちの高ぶりを、
この朝になるまで沈めることができなかった。
まだ自分は全然胆力のない相当なアマちゃんだということなのだろう。
Muppet___________Eric Clapton
Brassed Off___________美空ひばり
初音ミク___________G4
King's Singers___________Elvis Presley
いろいろな歌詞、解釈があるこのトラッドソング。
薬では決して収まらない心の奥底の不安と高ぶりを、少しでも和らげてくれるホント良い歌。
-----------------------------------------------------------------
「ダニー・ボーイ」
眠れぬ夜をひたすらこのMy Soul Songをyoutubeで探して、ただただ聴き続けた。
もう夜空に白みがさしはじめる時間。
いつもの倍の安定剤と導入剤に頼ったのに、
今日一日に下す自分のヘビーな選択に対する気持ちの高ぶりを、
この朝になるまで沈めることができなかった。
まだ自分は全然胆力のない相当なアマちゃんだということなのだろう。
Muppet___________Eric Clapton
Brassed Off___________美空ひばり
初音ミク___________G4
King's Singers___________Elvis Presley
いろいろな歌詞、解釈があるこのトラッドソング。
薬では決して収まらない心の奥底の不安と高ぶりを、少しでも和らげてくれるホント良い歌。
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「ロンドンデリーの歌」-----------------------------------------------------------------
My son I reared as might the brooding partridge
Rear up an eaglet fall'n from stormstruck nest;
My son, ah no! one captained for high conflict,
My chieftain husband's heir and his bequest!
息子よ、私はあなたを鳥が卵を抱くように大事に育てて来ました
嵐にあって巣から落ちた子鷲のように育てて来ました
息子よ、ああ嫌! 貴方は高潔な戦いの先頭に立つのですね
族長であった私の夫の血筋であり忘れ形見なのですものね
No mother's part in him did my heart treasure,
And he would go, and I could stand alone;
Ah! so I thought, but now my heart strings measure
The love, the loss my son, my little son thou'rt gone!
彼の中に母に似た所などないことがむしろ私の宝でしょう
そして彼は行くでしょう、私は一人でも大丈夫だから
ああ! そうは思うけど、私の心の糸が測ってしまうのです
息子への愛と喪失感を。私の愛しい息子よ、貴方は行ってしまった。
I see the grey road winding, winding from me,
And thou upon them exiled, and away;
I turn unto the empty house that's by me
Ah, dark this day as on Wolfe Tone's death' day!
私は遙かに曲がりくねって続いていく道を眺めています
貴方はこの道を通って遠くへ行ってしまった
私はきびすを返して空っぽの家の中に入る
ああなんて暗いんでしょう。ウルフェ・トーンが死んだ日のよう!
But no, no, no! Up from the sod beside me,
Up, up, with glorius singing speeds the lark;
'Tis Wolfe Tone's spirit, his, reconcile me,
And in a swordflash, gone the loneliness the dark!
でも違う違う! 私のそばの草原の中から
栄誉ある歌を歌うひがりが飛び立つ
それは亡きウルフェ・トーンの魂で、私をなだめてくれる
そして剣の光の中に、孤独と闇は消え去る!
「ダニー・ボーイ」
Oh Danny Boy, the pipes, the pipes are calling
From glen to glen, and down the mountain side
The summer's gone, and all the roses falling
'Tis you, 'tis you must go and I must bide
But come ye back when summer's in the meadow
Or when the valley's hushed and white with snow
'Tis I'll be here in sunshine or in shadow
Oh Danny Boy, oh Danny Boy, I love you so
おぉ、ダニーボーイよ、と笛が、笛が呼んでいる
谷間から谷間へ、山腹を駆け下りて
夏は去り、全ての花が死んでしまう
ああ貴方は去らねばならない。そして私は留まらねばならない。
でも貴方は、夏が草地にある時に戻って来て。
或いは谷間が静かに雪に覆われた時に戻って来て。
私は日が照っていようとかげっていようとそこに居ますから
ダニーボーイ、おぉダニーボーイ、私は貴方を愛します
But come ye back when all the world is dying,
If I am dead, as dead I well may be.
You'll come and see the place where I am lying,
And say an "Ave" there for me.
And I shall hear, 'though soft you tread around me,
And all my dreams will warm and sweeter be,
If you will only tell me you love me,
Then I'll sleep in peace, until you waken me.
でも、あなたが全ての世界が死んでいる時に戻ってきて、
私も死んでいたら、(私もいつかは死ぬだろうから)
貴方が見るのは私が横たわっている姿でしょう
その時は私に冥福を祈る言葉を告げてください
その時はどんなにそっと歩いても、私は貴方の声を聞くでしょう
そして私の見る夢は暖かく甘くなるでしょう
貴方が私を愛していると言ってくれたら
私は貴方が起こしてくれるまで平和に眠っているでしょう。
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何も考えたく、何も先のことを想像したくない気持ちが、
こんな訳のわからない時間を費やさせ、そうこうしているうちに、完全に朝になる。
そろそろ戦闘モードに入るかな。
Getz/Gilberto
はじめて買ったボサノヴァのCDが、この『Getz/Gilberto』
Stan Getz ( Sax (Tenor) )
Joao Gilberto ( Guitar,Vocals )
Astrud Gilberto ( Vocals )
Antonio Carlos Jobim ( Guitar,Piano )
Milton Banana ( Drums )
アストラッド・ジルベルトが歌う『イパネマの娘』で始まる名曲の数々。
ジョアン・ジルベルトのギター。
アントニオ・カルロス・ジョビンもいる。
そして、スタン・ゲッツのギター。
今から思えば、よくぞボサノバの1枚目にこのCDを選んだと自分を褒めたいくらい。
1990年11月、ブルーノート福岡がオープンした当時、福岡のJAZZ好き、音楽好きの多くは、その事実に舞い上がった。地方にブルーノートの本物ミュージシャンが次々とやって来るという状態がちょっと信じられなく、恐らくそう長くは続くまいという思いもあって、「行けるうちにとにかくいっとけ」というノリで、あまり詳しくないミュージシャンのライブにも1万円前後のお金を無理矢理都合して行ったものだ。その後、経営不振による売却があって、名前を『福岡ブルーノート』に変えたり、呼んでくるミュジシャンの方向性が少し変わったりしながら、結局2005年に閉店となるわけだが、考えてみれば15年間というのは、よく頑張ったなという思いもある。1990年といえばバブル崩壊前夜だったわけで、恐らく時代のノリで作られた部分が大きかったであろう。地方都市には少し荷が重いこのライブスペースで、日頃想像上でしか存在しなかったビッグネームの音に触れられた良い一時代だったな。
こんないつ閉店するか不安という心理状態もあって、それまでそんなに聴いてこなかったミュージシャンなのに、「行っとけ」精神で挑戦したミュージシャンの一つが、ボサノヴァの大御所『アストラッド・ジルベルト』だった。より楽しむためにはもちろん予習も怠らなかった。そこで買ったCDが『Getz/Gilberto』。選んだ理由はスタン・ゲッツは好きだったからで、まさかグラミー賞もとった名盤だとはつゆしらず。かくして予習のかいもあり、ブルーノートで贅沢なボサノヴァ初体験を果たしたのが1991年の10月。
ちなみにスタンゲッツは後年、麻薬ほしさに強盗を働いたり、アルコール依存症になったりで、荒れた生活を送っていたようで、奇しくも1991年の6月に亡くなっている。アストラッドが来日する直前のことだったんだなぁ。知らなかった。
実は、最近の自分の中での聴く音楽優先順位が下がっているボサノヴァだった。ふと聴きたくなったのはアストラッド・ジルベルトの元旦那であるジョアン・ジルベルトが来日するというニュース記事を見たので。(アストラッドがジョアンの元妻と言うべきだろうか?)
12月12日、13日に東京国際フォーラムホールで演るらしい。
77歳にもなるジョアンは、今年11月来日予定のはずが体調不良で中止になったという経緯もあって、これが最後だろうとも言われているようだ。「これが最後だろう」といわれながら来日し、本当に最後になってしまったオスカー・ピーターソンをこの目に納めた場所が、福岡ブルーノートだったという自分の思い出もある。
ジョアン・ジルベルトファンには「絶対行っとけ!」と背中をおしたい。
2008年12月09日
ナビィの恋
久しぶりに観ました。
沖縄在住の中江裕司が監督したこの映画『ナビィの恋』。
はじめてこの映画を観た時はまだ今ほど沖縄民謡についての知識が少なく、嘉手苅林昌さんも大城美佐子さんすらも知らない頃だったので、沖縄の自然や色彩の美しさに目がいったり、随所にでてくる琉球語を翻訳した字幕などのカルチャーギャップを感じる程度の印象だった。その後、色々な沖縄民謡に触れる機会があり、覚えた曲も増えている自分が観たこの映画は、全く違う楽しみ方ができ、以前とは比較にならないほど作品の良さに触れることができた思いだ。
ナビィの恋は音楽ドキュメンタリーと寓話を合わせたような不思議な映画だなぁと。
いろいろなバージョンで唄われる『国頭ジントーヨー』『十九の春(じゅりぐぁ小唄』、そしてラストのカチャーシー『アッチャメー小』に至るまで、全編に沖縄の音楽を感じることが出来る。さらに出てくる音楽が島唄にとどまらず、アイリッシュ民謡やオペラ・カルメンやトラディショナル溢れる幅広い音楽がちりばめられる。山里勇吉と島人バンドで奏でられる、島唄バージョン『ロンドンデリーの歌』も味があって、フランクシナトラやビルエバンスもやっていたあの『ダニーボーイ』が沖縄の文化と交わるというこの刺激が、強く心の中に刻まれた。「音楽には国境が無い」とよく言われるけど、音楽にとって、いかにその国特有の伝統や文化が大きく関わり、大切であるかを改めて感じた。
自分は最近沖縄民謡を聴きだしたにわかファンなので、この映画では嘉手苅林昌、大城美佐子、林昌さんの息子さんの嘉手苅林次さんくらいしか知識がなかったのだが、平良とみ演じるナビィの旦那役の登川誠仁さん略歴を見て驚く。「8歳で喫煙・9歳で飲酒を始める」「11歳でカチャーシーをマスターする」凄い早熟な人なんだと。そして彼は”沖縄のジミヘン”と尊敬されているらしいことも知る。
そして、敬愛する嘉手苅林昌さんが亡くなったのは1999年10月9日。この『ナビィの恋』が公開されたのが1999年12月4日ということなので、おそらく林昌さんの最後の映像だったのだろうことも知った。雨の縁側で林昌さんと大城さんが並んで三線をひき唄う印象的なシーンが頭に焼き付く。これは自分にとっても貴重な印象深いワンシーンとなった。