2008年11月
2008年11月30日
ジュリー祭り・余韻のおすそ分けをいただく
京セラドーム大阪でのジュリー祭りの翌日。
自分にとっては予定通り、妄想・ジュリー祭りの日でもある。
ブログなどのネットメディアがそれほど浸透してなかった昔、ライブの興奮を分かち合うすべは、一緒に行った友人知人と感想を交わす程度と極めて限定的だったが、今はブログが大活躍。
しかし行ってもないライブの情報を、翌日には簡単に収集できるということには善し悪しもあるだろうけど、おおむね良い方向で恩恵を受けているのでは?などと理由をつけ自分を納得させて、他人の日記で楽しませていただくといたします。
■教育ママごん 沢田研二 京セラドーム公演第一弾〜第八弾
全80曲(81曲?)について、全て感想を書かれているという驚きの情報量。
これならば自分の乏しい想像力でも、わずかな妄想力で楽しめます。
しかも、長時間、大人数なライブならではの現場のトラブル記事も、臨場感が増してよかった。
すごい熱意が伝わってきました!
■昨日ほど、沢田研二のファンで本当に良かったと思った日はありません
演奏者目線の観察が印象的でした。
ドラムがGRACEさんという女性(占い師でもあるらしい?)で、バンドをひっぱっていたとのこと。
GRACEさん、気になるなぁ。SONGSに出ていた人のようだ。
それにしても気になる一曲目から下山淳が崩壊していたらしい記事も気になる。
80曲歌う沢田研二が凄いのはもちろんのことだが、バックミュージシャンにとってもこの曲数のライブは未体験ゾーンだったかも。
そう考えると、その苦労は想像を絶するものかもしれないなぁ。
■ジュリー・沢田研二のコンサート♪に行ってきましたぁヽ(^o^)丿
チラシやグッズの写真がいろいろあって、これまた気分を味わえます。
そしてジュリー、涙を流していたんですね。
それにしても、第2部9曲目に歌った『我が窮状』のくだり、貴重な情報でした。
ジュリーが憲法第9条へどれほど想いを込めて歌った曲なのか知りもしないし、それについて自分の考えを語るつもりもないけど、やはり朝日新聞の報道には私もちょっと違和感ありでした。
他の新聞報道ではほぼスルーされていたと思うのに、朝日だけが不自然なまでの取り上げ方は、あからさまな便乗の印象が強く、これは自分の目で確かめたかった。
12月のNHK番組を期待するとします。
■人間60年「ジュリー祭り」
ジュリーの生の声を聞いた気がしてきます。
「無謀にも、やりたかってん。」
「タイガースから夢の中に居るままで、夢の中で夢見ることも無く、現実を走ってきました。」
「これからも、サボりながら、進みます。」
いやーかっこいいです。絵になります。
■人間60年 ジュリー祭り 曲目予想
ブログ主さんは、ジュリーと同じ還暦世代の方のようで。
まだまだ若輩者の私は、事前にここまで予想されていた方がいらしたとに驚かされました。
結果はおおよそ半分くらいの的中だとお見受けしますが、逆にいうと、いかにジュリーの曲は良いものが多く、さまざまなファンにさまざまな思い入れを与えているのだろうなぁと、想いを馳せる次第。
ああ、楽しく時が過ぎていく。
自分の持ちCDとセットリストを照らし合わして聴いたりして、妄想ジュリー祭りが続きます。
自分にとっては予定通り、妄想・ジュリー祭りの日でもある。
ブログなどのネットメディアがそれほど浸透してなかった昔、ライブの興奮を分かち合うすべは、一緒に行った友人知人と感想を交わす程度と極めて限定的だったが、今はブログが大活躍。
しかし行ってもないライブの情報を、翌日には簡単に収集できるということには善し悪しもあるだろうけど、おおむね良い方向で恩恵を受けているのでは?などと理由をつけ自分を納得させて、他人の日記で楽しませていただくといたします。
■教育ママごん 沢田研二 京セラドーム公演第一弾〜第八弾
全80曲(81曲?)について、全て感想を書かれているという驚きの情報量。
これならば自分の乏しい想像力でも、わずかな妄想力で楽しめます。
しかも、長時間、大人数なライブならではの現場のトラブル記事も、臨場感が増してよかった。
すごい熱意が伝わってきました!
■昨日ほど、沢田研二のファンで本当に良かったと思った日はありません
演奏者目線の観察が印象的でした。
ドラムがGRACEさんという女性(占い師でもあるらしい?)で、バンドをひっぱっていたとのこと。
GRACEさん、気になるなぁ。SONGSに出ていた人のようだ。
それにしても気になる一曲目から下山淳が崩壊していたらしい記事も気になる。
80曲歌う沢田研二が凄いのはもちろんのことだが、バックミュージシャンにとってもこの曲数のライブは未体験ゾーンだったかも。
そう考えると、その苦労は想像を絶するものかもしれないなぁ。
■ジュリー・沢田研二のコンサート♪に行ってきましたぁヽ(^o^)丿
チラシやグッズの写真がいろいろあって、これまた気分を味わえます。
そしてジュリー、涙を流していたんですね。
それにしても、第2部9曲目に歌った『我が窮状』のくだり、貴重な情報でした。
ジュリーが憲法第9条へどれほど想いを込めて歌った曲なのか知りもしないし、それについて自分の考えを語るつもりもないけど、やはり朝日新聞の報道には私もちょっと違和感ありでした。
他の新聞報道ではほぼスルーされていたと思うのに、朝日だけが不自然なまでの取り上げ方は、あからさまな便乗の印象が強く、これは自分の目で確かめたかった。
12月のNHK番組を期待するとします。
■人間60年「ジュリー祭り」
ジュリーの生の声を聞いた気がしてきます。
「無謀にも、やりたかってん。」
「タイガースから夢の中に居るままで、夢の中で夢見ることも無く、現実を走ってきました。」
「これからも、サボりながら、進みます。」
いやーかっこいいです。絵になります。
■人間60年 ジュリー祭り 曲目予想
ブログ主さんは、ジュリーと同じ還暦世代の方のようで。
まだまだ若輩者の私は、事前にここまで予想されていた方がいらしたとに驚かされました。
結果はおおよそ半分くらいの的中だとお見受けしますが、逆にいうと、いかにジュリーの曲は良いものが多く、さまざまなファンにさまざまな思い入れを与えているのだろうなぁと、想いを馳せる次第。
ああ、楽しく時が過ぎていく。
自分の持ちCDとセットリストを照らし合わして聴いたりして、妄想ジュリー祭りが続きます。
沢田研二・妄想・ジュリー祭り
最近しばしばこのブログのネタにする「行きたかったけど行けなかったライブ」。
つくづく自分が未練たらしい人間であるということを再確認する。
それでひとカテゴリー作ってもいいくらいになってきた。
池畑潤二50thや沢田研二60thなどといった付加価値がついたライブというのは、
ファンならばイベント開催側の思惑にまんまとはまっているのは承知の上で、
参加することによるある種の特権的快感を提供してもらっている事に、感謝すらしてしまう。
だから心底行きたいのなら、どんな手段を使っても、しがらみを投げ捨ててでも行ったはず。
正しくは「行けなかった」ではなく「行かなかった」のだろう。
これが自分の想いの限界でもある。
今宵の大阪ドームも、そして4日後東京ドームについても、
特権にありつけた方々のおこぼれに預かるべく、ブログを渡り歩くことになるのだろう。
大きな嫉妬と大きな感謝の念を込めながら。
ジュリー祭り80曲のセットリストが出てきたら、『1人妄想ジュリー祭り』を開催するつもり。
つくづく自分が未練たらしい人間であるということを再確認する。
それでひとカテゴリー作ってもいいくらいになってきた。
池畑潤二50thや沢田研二60thなどといった付加価値がついたライブというのは、
ファンならばイベント開催側の思惑にまんまとはまっているのは承知の上で、
参加することによるある種の特権的快感を提供してもらっている事に、感謝すらしてしまう。
だから心底行きたいのなら、どんな手段を使っても、しがらみを投げ捨ててでも行ったはず。
正しくは「行けなかった」ではなく「行かなかった」のだろう。
これが自分の想いの限界でもある。
今宵の大阪ドームも、そして4日後東京ドームについても、
特権にありつけた方々のおこぼれに預かるべく、ブログを渡り歩くことになるのだろう。
大きな嫉妬と大きな感謝の念を込めながら。
ジュリー祭り80曲のセットリストが出てきたら、『1人妄想ジュリー祭り』を開催するつもり。
2008年11月29日
鼻から胃カメラ
恒例の胃カメラ検査。
もうかれこれ20回以上は飲んだかな?。一年間に9回飲んだ年もあった。
結構、費用をかけているよなあ。
しかしいくら回数を飲んでも、全く自慢になることもでもないし、
何より一向に上手く飲めるようにならないので、やっかいだ。
なかなか苦しさに慣れないのは、人より喉の反射が強いせいだそうだが、
初めの数回でこりごりだったので、その後は麻酔をして寝ている間にやってもらっている。
しかし、それでもイヤなのが喉麻酔のスプレー。大嫌いだ。
これには、毎回涙してます。
そんな自分の行きつけのお医者さんから「鼻から胃カメラを始めました」との朗報が。。
さっそく「今回は鼻からでひとつ・・・」とお願いしたところ、「ああ、今日はダメ」とのつれない言葉。
一緒に受ける他の検査の関係上、鼻には入れられない、というよく判らない理由で断念させられました。
かくしては、苦しい嗚咽と強制睡眠による時間の浪費という毎度の結果に終わったのです。
ということで、、
フリッパーズギターの『CAMERA TALK』
さらに、今の気分を表すのにふさわしい曲がこのアルバム中の「カメラ!カメラ!カメラ!」。
この曲が出たとき、あのギターには「やられたな」と思った記憶がある。
小山田圭吾、小沢健二がその後どんな活躍をするのか、まだ想像もしてかったあの頃のこと。
ちなみに鼻から胃カメラは、『経鼻内視鏡』と呼ぶらしい。
もうひとつちなみに、『経鼻内視鏡』を使用しても、喉麻酔スプレーは必要だとのこと。
けっきょく朗報でもなんでもなかったようです。
もうかれこれ20回以上は飲んだかな?。一年間に9回飲んだ年もあった。
結構、費用をかけているよなあ。
しかしいくら回数を飲んでも、全く自慢になることもでもないし、
何より一向に上手く飲めるようにならないので、やっかいだ。
なかなか苦しさに慣れないのは、人より喉の反射が強いせいだそうだが、
初めの数回でこりごりだったので、その後は麻酔をして寝ている間にやってもらっている。
しかし、それでもイヤなのが喉麻酔のスプレー。大嫌いだ。
これには、毎回涙してます。
そんな自分の行きつけのお医者さんから「鼻から胃カメラを始めました」との朗報が。。
さっそく「今回は鼻からでひとつ・・・」とお願いしたところ、「ああ、今日はダメ」とのつれない言葉。
一緒に受ける他の検査の関係上、鼻には入れられない、というよく判らない理由で断念させられました。
かくしては、苦しい嗚咽と強制睡眠による時間の浪費という毎度の結果に終わったのです。
ということで、、
フリッパーズギターの『CAMERA TALK』
さらに、今の気分を表すのにふさわしい曲がこのアルバム中の「カメラ!カメラ!カメラ!」。
この曲が出たとき、あのギターには「やられたな」と思った記憶がある。
小山田圭吾、小沢健二がその後どんな活躍をするのか、まだ想像もしてかったあの頃のこと。
ちなみに鼻から胃カメラは、『経鼻内視鏡』と呼ぶらしい。
もうひとつちなみに、『経鼻内視鏡』を使用しても、喉麻酔スプレーは必要だとのこと。
けっきょく朗報でもなんでもなかったようです。
2008年11月28日
耳鳴りの中のノクターン
今日はいつもにもまして耳鳴りがひどい。
ちょっと精神的にきついドラマ「風のガーデン」を見ていた。
途中で目を離したくなったが、緒方拳と中井貴一の演技にそれもさせてもらえず。
とうとうエンディングまで震えながら見入ってしまった。
ドラマの終わりに平原綾香のカンパニュラの恋が流れ出すころ、
はじめて普段に増して耳鳴り音が大きいのに気がつく。
この先どんな音楽を聴くときも、この神経に障る高音がつきまとうのかと思うと気が滅入る。
イコライザーであの高音を落とせないものか?
もしくは逆位相で打ち消したりできないのか?
とりあえず周囲の音量を上げてやりすごすことにしよう。
この題字は緒方拳さんによるものらしい。
耳鳴りなどで落ち込んでいるヒマはないな。
ちょっと精神的にきついドラマ「風のガーデン」を見ていた。
途中で目を離したくなったが、緒方拳と中井貴一の演技にそれもさせてもらえず。
とうとうエンディングまで震えながら見入ってしまった。
ドラマの終わりに平原綾香のカンパニュラの恋が流れ出すころ、
はじめて普段に増して耳鳴り音が大きいのに気がつく。
この先どんな音楽を聴くときも、この神経に障る高音がつきまとうのかと思うと気が滅入る。
イコライザーであの高音を落とせないものか?
もしくは逆位相で打ち消したりできないのか?
とりあえず周囲の音量を上げてやりすごすことにしよう。
この題字は緒方拳さんによるものらしい。
耳鳴りなどで落ち込んでいるヒマはないな。
2008年11月27日
PUPA - 高橋幸宏、原田知世
後藤次利、高中正義とともにサディスティックスで魅了されて以来、しばらく自分の音楽の趣味趣向がずいぶんと横にそれた次期があった。
技術と実験や各種コラボ、ファッションに至るまで、音楽の可能性をどこまで模索するようなアプローチがなんて格好イイんだと憧れ、そんな仕掛けに乗せられて、後藤次利のベースをまねたり、高中正義のギターを必死でコピーしたものだ。
今でもその頃の後藤次利や高中正義が、その後のキャリアの中でも一番かっこよかったように思う。
そんなサディスティックスやその前のミカバンドから始まり、YMOでブレークしてしまった後は、大物でありながらあまりに自由な音楽活動だったように思うのが高橋ユキヒロ。
今でも自由そのものだ。
そして高橋幸宏は音楽シーンに登場する度に新鮮なインパクトを提供してくれる。
そんな今回は『pupa』(ピューパ)で登場。
ヴォーカルが原田知世だったり制服の裾の短さなどの際どいセンスがユキヒロらしい。
ネームバリュー通りの大御所然とした音楽を作るわけでもなく、かといって若者におもねる音を作るわけでもなく、あくまでもマイペースでハイセンス。
原田知世以外のメンバーも、スーパー・バター・ドッグのプロデューサーでもあった高野寛や、高田渡の遺伝子を持つ高田漣(永積タカシ繋がり?)、コーネリアスやくるりのサポートもしていた堀江博久、ユーフォニアム(珍しい!)を操る権藤知彦といった個性的なメンバーで、そのメンバーから出てくる音も電子音と生楽器音が不思議な調和を図る。
福岡では明日11月28日(金)にZepp Fukuokaでライブがある。
最終日の渋谷C.C.Lemonホールでは、細野晴臣がベースで参加との情報も。
行きたいライブに全て行けるような貴族のような生活を送れない自分は、もちろん我慢である。
ちなみに『ユーフォニアム』という楽器は、いろいろな形があるようだが、下はその一例。
技術と実験や各種コラボ、ファッションに至るまで、音楽の可能性をどこまで模索するようなアプローチがなんて格好イイんだと憧れ、そんな仕掛けに乗せられて、後藤次利のベースをまねたり、高中正義のギターを必死でコピーしたものだ。
今でもその頃の後藤次利や高中正義が、その後のキャリアの中でも一番かっこよかったように思う。
そんなサディスティックスやその前のミカバンドから始まり、YMOでブレークしてしまった後は、大物でありながらあまりに自由な音楽活動だったように思うのが高橋ユキヒロ。
今でも自由そのものだ。
そして高橋幸宏は音楽シーンに登場する度に新鮮なインパクトを提供してくれる。
そんな今回は『pupa』(ピューパ)で登場。
ヴォーカルが原田知世だったり制服の裾の短さなどの際どいセンスがユキヒロらしい。
ネームバリュー通りの大御所然とした音楽を作るわけでもなく、かといって若者におもねる音を作るわけでもなく、あくまでもマイペースでハイセンス。
原田知世以外のメンバーも、スーパー・バター・ドッグのプロデューサーでもあった高野寛や、高田渡の遺伝子を持つ高田漣(永積タカシ繋がり?)、コーネリアスやくるりのサポートもしていた堀江博久、ユーフォニアム(珍しい!)を操る権藤知彦といった個性的なメンバーで、そのメンバーから出てくる音も電子音と生楽器音が不思議な調和を図る。
福岡では明日11月28日(金)にZepp Fukuokaでライブがある。
最終日の渋谷C.C.Lemonホールでは、細野晴臣がベースで参加との情報も。
行きたいライブに全て行けるような貴族のような生活を送れない自分は、もちろん我慢である。
ちなみに『ユーフォニアム』という楽器は、いろいろな形があるようだが、下はその一例。
2008年11月26日
孤独のメッセージ / ポリス
ポリスの白いレガッタを聴く。
「孤独のメッセージ(Message in a Bottle)」って、いい邦題をつけたものだな。
この曲は他のどんなミュージシャンがカバーしたとしても、たぶんつまらない曲になってしまうだろう。
アンディ・サマーズは元ソフト・マシーンだったし、スティングはジャズ出身、スチュワート・コープランドはプログレだったらしいので、それが複雑に影響し合って出来たのがポリスなのだろうから、簡単にはマネをできるものではないのかな。
アンディ・サマーズはよくあんなギターを弾いたものだ。
もちろん、スティングのベースとスチュワート・コープランドのドラム無しにはあり得ない曲だけど、やっぱりすごいのはアンディ・サマーズのギター。
孤独のメッセージの作曲はスティングである。
編曲の課程はわからないし、スティングがどのくらい仕上げてから録音まで持っていったのかもわからないが、ギターのフレーズありきの曲ではなく、曲に後からギターをつけたはず。
これは何度聞いても信じられない。
もしかしたら、スティングがギターフレーズまで完成形に近いイメージを作って、アンディ・サマーズに渡したのかもしれない。
今でこそ、ポリスが切り開いた世界を多くのミュージシャンが辿って影響を受け、あんなニュアンスのリフをい思いつくことはあるだろうけど、あんな手癖で弾けるようなものではないバッキングは尋常ではない。
後に見たライブ映像で、ありえない手の形でギターネックを押さえるシーンを確認し、また驚愕した。
もう65歳にもなるアンディ・サマーズは、全く衰えを感じない。
そういえばここのところ、何度も何度も還暦ロッカーの話題が出てくるような気がするなぁ。
柴山俊之、鮎川誠、沢田研二、あがた森魚・・・みな元気いっぱいで勇気をもらう。
そういえばあと3日に迫った「人間60年・ジュリー祭り」では69曲歌うといって驚いていたが、なんと、いつのまにか80曲にまで予定曲数が増えている!
いったいどこまで元気なんだろう?
「孤独のメッセージ(Message in a Bottle)」って、いい邦題をつけたものだな。
この曲は他のどんなミュージシャンがカバーしたとしても、たぶんつまらない曲になってしまうだろう。
アンディ・サマーズは元ソフト・マシーンだったし、スティングはジャズ出身、スチュワート・コープランドはプログレだったらしいので、それが複雑に影響し合って出来たのがポリスなのだろうから、簡単にはマネをできるものではないのかな。
アンディ・サマーズはよくあんなギターを弾いたものだ。
もちろん、スティングのベースとスチュワート・コープランドのドラム無しにはあり得ない曲だけど、やっぱりすごいのはアンディ・サマーズのギター。
孤独のメッセージの作曲はスティングである。
編曲の課程はわからないし、スティングがどのくらい仕上げてから録音まで持っていったのかもわからないが、ギターのフレーズありきの曲ではなく、曲に後からギターをつけたはず。
これは何度聞いても信じられない。
もしかしたら、スティングがギターフレーズまで完成形に近いイメージを作って、アンディ・サマーズに渡したのかもしれない。
今でこそ、ポリスが切り開いた世界を多くのミュージシャンが辿って影響を受け、あんなニュアンスのリフをい思いつくことはあるだろうけど、あんな手癖で弾けるようなものではないバッキングは尋常ではない。
後に見たライブ映像で、ありえない手の形でギターネックを押さえるシーンを確認し、また驚愕した。
もう65歳にもなるアンディ・サマーズは、全く衰えを感じない。
そういえばここのところ、何度も何度も還暦ロッカーの話題が出てくるような気がするなぁ。
柴山俊之、鮎川誠、沢田研二、あがた森魚・・・みな元気いっぱいで勇気をもらう。
そういえばあと3日に迫った「人間60年・ジュリー祭り」では69曲歌うといって驚いていたが、なんと、いつのまにか80曲にまで予定曲数が増えている!
いったいどこまで元気なんだろう?
2008年11月25日
オーケン・オザケン・天使たちのシーン
音楽における歌詞の存在については、人はどこもまで重きを置いているのだろう?
歌詞がよくわからなくてもいい曲だと感じることはあっても、
歌詞は良いが曲として評価できないものは自分の中では価値を見いだせない。
メロディーが好きになって、それに乗っかる歌詞が良かったら、
それは自分の中で名曲と位置づけられる。多くの場合。
あるクラシックのミュージシャンが言っていた。
「私はポップスも好きできくけど、自然と音に集中してしまって、
曲を聴きながら歌詞というものがまったく頭にはいってこない。」
よくわかるなぁ。
それは不幸なことなのかもしれないけど。
小沢健二の『犬は吠えるがキャラバンは進む』というアルバムに収録されている
『天使たちのシーン』というよく知られた名曲があるけど、
犬は吠えるがキャラバンは進む/小沢健二
多くの論評でこの13分にわたる長い曲のな中で語られる詞の解釈や、
その世界観が語られている。なのに自分はその13分をまるでインストのように、
楽器やメロディーやアレンジの世界に入り込んで、それだけで満足を得る。
でも歌詞や歌詞の意味が必要ないかというと、そういうものでも無いのが難しいところなんだけど。
小沢健二で好きになった『天使たちのシーン』なのに、
大槻ケンヂがカバーした『天使たちのシーン』のほうが好きになった。
元筋肉少女帯・三柴理がピアノが素晴らしいからであり、
マルコシアスバンプの佐藤研二のベースがかっこいいからであり、
オーケンの、曲に対して注ぐ愛情の大きさが感じたためであり、
この曲を歌詞を生み出したオザケンへの思い入れを上回ったためだ。
I STAND HERE FOR YOU/大槻ケンヂ
原曲を作ったミュージシャンにとって、カバーしたミュージシャンにファンが乗り換えられた、という事実を本人が知ったら、どういう感情を抱くのだろう?
今ではつい大槻ケンヂの『天使たちのシーン』だと思ってしまっている自分は、歌詞より音の刺激を優先してしまう自分の頭なんて、恐らくこの曲をそんなに理解してないのだろう。
自分でも何を言いたいかわからなくなってきたので、あらためて歌詞を読んでみるとしよう。
(以下引用)
歌詞がよくわからなくてもいい曲だと感じることはあっても、
歌詞は良いが曲として評価できないものは自分の中では価値を見いだせない。
メロディーが好きになって、それに乗っかる歌詞が良かったら、
それは自分の中で名曲と位置づけられる。多くの場合。
あるクラシックのミュージシャンが言っていた。
「私はポップスも好きできくけど、自然と音に集中してしまって、
曲を聴きながら歌詞というものがまったく頭にはいってこない。」
よくわかるなぁ。
それは不幸なことなのかもしれないけど。
小沢健二の『犬は吠えるがキャラバンは進む』というアルバムに収録されている
『天使たちのシーン』というよく知られた名曲があるけど、
犬は吠えるがキャラバンは進む/小沢健二
多くの論評でこの13分にわたる長い曲のな中で語られる詞の解釈や、
その世界観が語られている。なのに自分はその13分をまるでインストのように、
楽器やメロディーやアレンジの世界に入り込んで、それだけで満足を得る。
でも歌詞や歌詞の意味が必要ないかというと、そういうものでも無いのが難しいところなんだけど。
小沢健二で好きになった『天使たちのシーン』なのに、
大槻ケンヂがカバーした『天使たちのシーン』のほうが好きになった。
元筋肉少女帯・三柴理がピアノが素晴らしいからであり、
マルコシアスバンプの佐藤研二のベースがかっこいいからであり、
オーケンの、曲に対して注ぐ愛情の大きさが感じたためであり、
この曲を歌詞を生み出したオザケンへの思い入れを上回ったためだ。
I STAND HERE FOR YOU/大槻ケンヂ
原曲を作ったミュージシャンにとって、カバーしたミュージシャンにファンが乗り換えられた、という事実を本人が知ったら、どういう感情を抱くのだろう?
今ではつい大槻ケンヂの『天使たちのシーン』だと思ってしまっている自分は、歌詞より音の刺激を優先してしまう自分の頭なんて、恐らくこの曲をそんなに理解してないのだろう。
自分でも何を言いたいかわからなくなってきたので、あらためて歌詞を読んでみるとしよう。
(以下引用)
『天使たちのシーン』
海岸を歩く人たちが砂に 遠く長く足跡をつけてゆく
過ぎていく夏を洗い流す雨が 降るまでの短すぎる瞬間
真珠色の雲が散らばってる空に 誰か放した風船が飛んでゆくよ
駅に立つ僕や人混みの中何人か 見上げては行方を気にしている
いつか誰もが花を愛し歌を歌い 返事じゃない言葉を喋りだすのなら
何千回ものなだらかに過ぎた季節が 僕にとてもいとおしく思えてくる
愛すべき生まれて育ってくサークル
君や僕をつないでる緩やかな止まらない法則
大きな音で降り出した夕立の中で 子供たちが約束を交わしてる
金色の穂をつけた枯れゆく草が 風の中で吹き飛ばされるのを待ってる
真夜中に流れるラジオからのスティーリー・ダン 遠い街の物語話してる
枯れ落ちた木の間に空がひらけ 遠く近く星が幾つでも見えるよ
宛てもない手紙書きつづけてる彼女を守るように僕はこっそり祈る
愛すべき生まれて育ってくサークル
君や僕をつないでる緩やかな止まらない法則
冷たい夜を過ごす 暖かな火をともそう
暗い道を歩く 明るい光をつけよう
毎日のささやかな思いを重ね 本当の言葉をつむいでる僕は
生命の熱をまっすぐに放つように 雪を払いはね上がる枝を見る
太陽が次第に近づいて来てる 横向いて喋りまくる僕たちとか
甲高い声で笑いはじめる彼女の ネッカチーフの鮮やかな朱い色
愛すべき生まれて育ってくサークル
気まぐれにその大きな手で触れるよ
長い夜をつらぬき回ってくサークル
君や僕をつないでる止まらない法則
涙流さぬまま 寒い冬を過ごそう
凍えないようにして 本当の扉を開けよう カモン!
月は今 明けてゆく空に消える
君や僕をつないでる緩やかな止まらない法則 ずっと
神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている
2008年11月24日
風音(KAZAOTO)vol.2 第二夜
開演が17時で、終わりがだいたい22時。
自分の体調がいまいちだということを差し引いても、5時間が終わった後のこの虚脱感。
ああ、ライブって水ものだなと深く感じた夜。
大好きなミュージシャンが何人も出演して、最高のパフォーマンスを味あうことができたとしても、ひとつのライブ全体として感じる満足感は別物なんだな。
本当だったら今頃はまだ天神の夜を謳歌していたのかも。でも、そんな余韻に浸る気持ちの高ぶりがキレイに冷やされて、そして家路についた。
自分のい記録として、細かい内容をブログに残そうと思っていたけど、それもやめておきたい。
印象的なシーンだけ、かい摘もうと思う。
『ピース』の初々しさと可能性のきらめき。
観客も含めて、自分の親やそれ以上かもしれない年代のオーディエンスの前で、一番手に登場して堂々と大役をこなした。観客のみんながこの20歳と16歳の2人に対して、「大事に育って欲しい」と願ったのではないかと思う。
『THE KIDS』をライブで見たのは十数年ぶりかな?桐明さんもキッズも切れがあって、年月が過ぎていることを忘れてしまうようだった。「1945年の彼に」が聴けてよかった。
『アンチムジカ』は、はじめて見たバンドだけど、おもしろい失敗を演じてくれた。「じゃあ次の曲!」と言ったあと、いまやったばかりの曲の出だしをまた演奏しだした。緊張していたのだろう。でもそれ以外の演奏はしっかりしていたと思う。
『水戸華之介』の癒されないアコースティックバンドは、今日一番のインパクトだった。笑いと演劇と音楽と詩の世界が渾然となって、いつまでも高いポテンシャルを持った人だなぁと思った。天井裏から・・・で盛り上がって終わりだと思ったのに、最後に衝撃のパンチをくわされてしまった。ホテルカリフォルニア”親父が死んだバージョン”は、今後そう簡単に忘れられないだろう。
今度は中谷ブースカも一緒に見れたらいいなと思った。
『石橋凌+伊東ミキオ+池畑潤二+渡辺圭一』
石橋凌の「魂こがして」がまた今年も聴けただけで満足。
それにボーナスとして池畑潤二のドラムをまた体感することができた。
どうしてあの人は、あんなに心を掴むドラムを叩くことができるのか?初めてルースターズを聴いた時から今日まで、魅せられ続ける。この人以上のドラムをまだ聴いたことがない。
それにしても石橋凌と池畑潤二のセンターラインの迫力はなんなんだ。フランク・シナトラの後ろについているマフィアみたいな構図。もうついていくしかない。
凄いアーティストを目の当たりにすると思う。あちら側にいくことは出来ないんだな、自分は、などと。
最後の「心の旅」が流れるころには、すっかり気持ちがクールダウンしている事態が、なかなか受け入れられなかった。
「心の旅」が名曲であることは間違いない。
でも、自分も岸川均さんの関係者だったら、もっとライブを楽しめたのかもしれないし、同じ想いを共有することができたのかもしれない、と思ったら少しさびしかった。
サファリパーク状態と化したらしい第一夜に行けなかったことが、返す返すも悔やまれる。
2008年11月23日
風音(KAZAOTO)vol.2 第一夜
この時間、さすがにまだブログ検索でひっかからないなぁ。
Vol.1に続くVol.2は、2日間に分かれて開かれる『風音』。
去年は入れない人の長い列ができてたもんなぁ。
サンハウスの再結成という一大事に加えて、あの豪華な参加メンバーだったので、
1日に詰め込むのは厳しすぎたから。
『風音』の第1日目。
シーナ&ザ・ロケッツ
Zi:LiE-YA(柴山"菊"俊之)
山善バンド
鮫
シナロケもZi:LiE-YAも見たかった。
山善の健在ぶりも確認しておきたかった。
でも残念!
明日の体調がよろしければ、2日目は参戦予定。
Vol.1に続くVol.2は、2日間に分かれて開かれる『風音』。
去年は入れない人の長い列ができてたもんなぁ。
サンハウスの再結成という一大事に加えて、あの豪華な参加メンバーだったので、
1日に詰め込むのは厳しすぎたから。
『風音』の第1日目。
シーナ&ザ・ロケッツ
Zi:LiE-YA(柴山"菊"俊之)
山善バンド
鮫
シナロケもZi:LiE-YAも見たかった。
山善の健在ぶりも確認しておきたかった。
でも残念!
明日の体調がよろしければ、2日目は参戦予定。
ルー・リード/ベルリン
ルー・リード/ベルリン
『Lou Reed BERLIN』。これは「ヤバイ」映画だった。
ライブドキュメンタリーとして、これ程引き込まれた映画はなかったかも。
上映が終わった後、しばらく余韻を味わってから立ち上がると、周囲に座席から離れずに放心状態の人々がいっぱいいたのが印象的だった。
映像、サウンド、詩、そして個人的な思い入れも重なって、どう表現していいのか自分の語彙では補えない。
淡々と歌い続けるルー・リードの凄み?
33年間封印されたこのアルバム曲の謎解き?
繊細で幻想的な映像?
まぁいずれにしても言葉では表現しきれないことがもどかしい。
むかしレコードがすり切れるほど聞いたベルリンと、こんな形で再開できて最高だった。
『ベルリン』〜『悲しみの歌』まで、一気に見ている最中に、アルバム『ベルリン』に出会った頃の忘れていた記憶がわき出てきた。
仲が良かった左翼かぶれUKロック少年から、たびたびオルグを受けた結果、思想的な影響を受けるほど成熟してなかった自分が影響受けたのが、このベルリンを初めとするベルベット・アンダーグラウンドやニコなどのサウンド。この映画を観て、当時、詩の内容も知らずにサウンドだけで「アンダーグラウンド的なロック」に憧れていただけだったんだなぁと、若気の至りに恥ずかしくなる。
もっと左翼かぶれUKロック少年の彼の話しを聞いておけばよかった。
彼は今何をしていうのかな?まだロックを聴いているのかな?
「ロック・オペラ」というコピーはなるほどだなーと感じた。
でも今回は、結局、音と映像だけでほとんど頭がいっぱいになってしまって、字幕の歌詞も映像の一部として感じただけの状態だったので、オペラとしてはまだ半分くらいしか楽しめてないはず。絶対また観なければなんない、という気持ちが大きい。
比較としては適当でないかもしれないけど、先日のリゴレットとは真逆の方向性といったらいいのか。
どちらにも感動してしまうという、ほんと染まりやすく節操ない感覚は、自分でもどうなんだろうと思うが。
なぜだか、映画を観てピック2枚GETしてしまった。
『Lou Reed BERLIN』。これは「ヤバイ」映画だった。
ライブドキュメンタリーとして、これ程引き込まれた映画はなかったかも。
上映が終わった後、しばらく余韻を味わってから立ち上がると、周囲に座席から離れずに放心状態の人々がいっぱいいたのが印象的だった。
映像、サウンド、詩、そして個人的な思い入れも重なって、どう表現していいのか自分の語彙では補えない。
淡々と歌い続けるルー・リードの凄み?
33年間封印されたこのアルバム曲の謎解き?
繊細で幻想的な映像?
まぁいずれにしても言葉では表現しきれないことがもどかしい。
むかしレコードがすり切れるほど聞いたベルリンと、こんな形で再開できて最高だった。
『ベルリン』〜『悲しみの歌』まで、一気に見ている最中に、アルバム『ベルリン』に出会った頃の忘れていた記憶がわき出てきた。
仲が良かった左翼かぶれUKロック少年から、たびたびオルグを受けた結果、思想的な影響を受けるほど成熟してなかった自分が影響受けたのが、このベルリンを初めとするベルベット・アンダーグラウンドやニコなどのサウンド。この映画を観て、当時、詩の内容も知らずにサウンドだけで「アンダーグラウンド的なロック」に憧れていただけだったんだなぁと、若気の至りに恥ずかしくなる。
もっと左翼かぶれUKロック少年の彼の話しを聞いておけばよかった。
彼は今何をしていうのかな?まだロックを聴いているのかな?
「ロック・オペラ」というコピーはなるほどだなーと感じた。
でも今回は、結局、音と映像だけでほとんど頭がいっぱいになってしまって、字幕の歌詞も映像の一部として感じただけの状態だったので、オペラとしてはまだ半分くらいしか楽しめてないはず。絶対また観なければなんない、という気持ちが大きい。
比較としては適当でないかもしれないけど、先日のリゴレットとは真逆の方向性といったらいいのか。
どちらにも感動してしまうという、ほんと染まりやすく節操ない感覚は、自分でもどうなんだろうと思うが。
なぜだか、映画を観てピック2枚GETしてしまった。