2010年04月15日
おくりびと チェロの音色
人間の考えること(この場合脳みそといったほうがいいか・・・)はなかなか複雑で、でも簡単に周囲の情報や状況に影響を受けて勝手に思いこんだり、こだわったりする。
ある時はいろんなキーワードを縦横に串刺しされて合成したり、また意味もなくバラバラな要素に分解もする。そういう意味ではホントに深くて曖昧なものだなと。
昨日は企画書を作ったり、営業回りをしたり、売り掛け回収を行ったり、お客さんからたのまれたPC不具合の原因究明を行ったり。そんなまとまりのつかない仕事が断片的に続いたあと、必要に迫られて途中まで作成していたデータ移行のプラグラムの続きを組んでいた。コーディングは昔取った杵柄とはいえ、経験の浅いPG言語だったことに加えて、もうかなり数学的な思考回路が退化してしまった脳みそとの格闘になる。何度も見直したはずの部分に隠れてバグをなかなか見つけることができなかったことに軽くショックを受けながら、まあ、たまにはいい頭の体操になったと気持ちを切り替えた。しかし、少々深追いしすぎた。
明日の事も考えてそろそろ休もうとするも、頭がぷすぷす音を立てながら湯気が立ち上るような状況では、すぐに寝つけそうもなく。あ〜またやってしまったという思いがよぎりながら、どうやって眠りまでのクールダウンをしていくかを思案する。
仕事がはかどる調子のいい日もあるが、調子の悪い日もある。
でも調子の良い日にあまりのりすぎて無理をすると、結局トータルでマイナスになってしまもの。
結局プロとはそういう自分を律する力を持たなければプロたり得ない、そういうことなんだろう。
毎日規則正しく、時間を決めて作曲するという久石譲さんを思い出す。
そして録画したまま観た気になってしまったいた『おくりびと』を探しだし再生した。
そのときなぜか、ノッキン・オン・ヘブンズドアを観た夜に似た感情だったことを後で思い出す。
おくりびとの曲も、ストーリーも、印象的な場面もなんとなくすでに頭に入ってしまっていて、「アカデミー賞の外国語映画部門賞を獲った映画」という余計な情報もあり、こんな場面がアメリカでも受けたのかな?ここで笑ったりしたのだろうか?などと脇道にそれたことばかり思いながら、本来の面白さとは少しズレた観賞だったように思う。でも、そんな悪条件がありながらも数々のシーンが焼き付くように心に残っていくのがわかった。本木雅弘も広末涼子も滝田洋二郎も久石譲もすごいな。そして観終わると、チェロの音色に体中を包み込まれるような感覚になり、あっさり眠りについていた。
そして昨晩、久しぶりにへんな夢をみた。ほぼ本当にみた夢。
祖父、祖母と夢の中で再会するという内容だった。
自分が祖母の手をひきながら、二人で散歩していた。
お世話になった人々や親戚の家を何件も訪ねて回っていた。
その間の祖母は楽しそうだったが、最後までまったく言葉を発しないのが印象的だった。
長いこと二人で歩いて日も暮れた頃、博多・春吉から春吉橋あたりの風景にたどりついていた。
でもその風景には博多にあるはずもない小倉井筒や玉屋なんてデパートも立ち並ぶおかしな風景で。
そこ春吉橋の上では旅回りの落語家一座キャラバン隊(?)が即席寄席をやっていて。
4人ほどの落語家さんの名は覚えてないが、そのなかの一人がulalaさん?!ではないか。
ドクターのかたわら旅回りの落語をやっているというよくわからない設定のようだ。
その時ulalaさんとはなんとなく目線でお互いを確認し、うなずいたように記憶する。
落語にくわしくないのは夢の中でも同じようで、これがなんの演目かもしらないままただ聴きつづける。
その時、祖母と自分が座っている横にはいつのまにか祖父が座っているのに気がつく。
「福岡住まいは長いけど、気の利いた飲み屋さんもあんまり知らないしなぁ。」
「ulalaさんを今夜はどこに飲みに誘おうかなぁ?」
などと落語とは関係ないことを祖父と話しながら。
そうこうしているうちに、祖父が胸を押さえて徐々に苦しみだし、パニックに陥り。
脈を診る、声をからして人を呼び、救急車を呼んでくれと叫んだ。
ぎこちなく胸に手を押し当てながら、(夢の中ではあるが)生まれて初めての心肺蘇生をこころみた。
そしてすがるようにulalaさんの方向をを振り返ってみると、なんとも間の悪いことに橋の上でヤクザにからまれてもめている最中で、こちらに気がつかない。
このあたりから、これは夢の中なんだなぁと半分気がついていたような状態だったが、不思議な感覚がやわらかく心地よく、このまま最後まで夢を見ることを続行した。
おちもなにもなが、はっきり覚えているのはここまで。
でもこんなに夢を覚えているのもめずらしい。
”寝る前に観たばかりの映画おくりびとのシーン記憶”
”幼少時代、祖父母にはさまれて川の字になって寝ていた記憶”
”ulalaさんのブログの記憶”
たぶんそんな記憶が引きおこした夢だったのだろうか。
現実と夢との境目がいたるところで入り組みあいながら、勝手な風景や場面を作りだしたり。
どうやら全体的には何かの関連づけがありそうだと感心し、
これはブログに残しておきたいと思った。
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この記事へのコメント
2,3日前からこのPCではGoogle日本語入力を使い始めたのですが、携帯の入力みたいに、自分の文章じゃなくGoogleくんに誘導されてるような文体にともすればなりがちでちょっとそれが嫌ではある。でも便利だ。ATOKに絶対しないといかんというわけではないのではないだろうか、というのが現時点での感想。
夢の中では全く不自然に感じてなかったのが、今思えば笑ってしまいます。
羽織姿もさまになっていましたよ。
『異人たちとの夏』という映画、ありましたね!
プッチーニの歌曲〜というのがなぜか強く印象に残っています。
昭和の夏、暮れなずむ夕暮れ時、なんとなく近いイメージだったかもしれません。
Google日本語変換の話しもありましたねぇ。使ってみようとおもいつつ、そのままでした。
ATOKも使い古した「わらじ」のように馴染んでしまうと、なかなか離れるのが辛そうですが、
どこの環境にもATOKがあるわけでもないので、Google採用も考えてみようかな?