2011年08月02日
rei harakami
今回はそれが再現されたような感覚に陥る。
rei harakamiさんが先月27日に急死されたことを知る。40才だった。
ハラカミさんの音楽は矢野顕子さんのアルバム曲への参加で興味を持ったのがきっかけだった。矢野さんが独自世界遺産に認定するほど独特の音作りは、どんな曲もレイ・ハラカミが参加することでその色に染めてしまうから、まったくすごい。3.11でショックを受けた精神状態のなかで、あまり抵抗なく耳に入ってくる数少ない音だったので、好んでよく流していたこの何か月か。こんなカタチでまた心に刻まれてしまうとは。なんともやりきれない。
もうrei harakamiもyanokamiも、もう新作を聴けないのか?思ったら、本当に悲しくなってしまった。
Akiko Yano Official Websiteより抜粋
「life is so very unpredictable.」
Why you?
The new and improved yanokami作ってた最中でした。
ニューヨークでライブやりたかったよね。
そしたらわたしご飯つくるから。
ハラカミさんの水菜とあぶらげの炊いたん、
おいしいんでしょ?
私の20倍の発汗量。
このまえストロベリーショートケーキ食べたとき、
大きい方あげたのにさ。
わたしiPhone使えるようになってきたのよ。
twitterだって始めたさあ。手伝ってもらってだけど。
知ってた?
もっとやさしくしてあげればよかった。。。。
顕子 of Yanokami
Friday, 7.29.2011 at 12:00 AM
2011年06月26日
久しぶりの更新。九州新幹線全線開通CM
止めていたハッキリとした理由はないし、書きたいことも度々あったりしたのに、
なんだか時間が経つにつれて更新するハードルを勝手に上げていっていたというか、
ブログを再開するキッカケを探していたような1年ちょっとの期間。
自分でも「いったい何なんだ?」という思いもあるのだが。
こうやってブログを書くのも少し新鮮な感覚がある。
自分で自分の感情に整理がつかない事はしばしばあるものだが、
そんななかでも理由がハッキリ分析できないような生理現象と感覚に驚いてしまって。
YoutubeにアップされているテレビCMを見ていて、涙が止まらなくなった。それも嗚咽までして。
なぜ?この映像で自分は涙しているのか?と終わるまでの3分間「?」を感じながら見ていた。
JR九州新幹線が全線で開通したのが3月12日。
3.11の影響でTV放映されることのなかったこの「JR九州/祝!九州キャンペーン」CM。
そんな不遇なCMだが、今回カンヌ国際広告祭という舞台で金賞を受賞したとのこと。
震災直後からこのCMの存在は知っていたし、とってもいいCMだとも思っていたのだが、
あのCMが海外で賞を獲ったのか!と改めて観てみた今回、そしてなぜか泣いてしまうことに。
確かにこの映像を見ると日本の多くの人が震災、復興の状況とオーバーラップさせるだろうし、
日本の作品が海外で賞を獲るという高揚感や、九州が舞台になっている親近感があったり、
流れている曲もマイア・ヒラサワさんの歌声も素晴らしいものだと思う。
ただ、このシンプルな映像の何処にそこまで心を揺らすツボがあるのか、
いろいろ自分に問いかけてみたけど、やっぱり少し不思議な気がする。
この映像には、自分の感情を読み解いたりコントロールするヒントが隠されているかも?
軽い疑問を感じながら、でも単純に泣くことができて気分はスッキリした。
2010年05月02日
この一年間と忌野清志郎
もう一年経つのか?信じられない。
そうすると、当然「おれは何を一年やっていたんだ?」という問いにたどりつく。
あと30年生きられるとしたら30分の一が過ぎ、
あと20年生きられるとしても20分の一が過ぎ、
あと10年生きるのだったら10分の一が過ぎたことになり、
そしてもっと時間がないのかもしれない・・・
いつも年末大晦日の時期には同じようなことを考えたりするものだが、
5月2日のこの日は、いつも以上にそのことを実感させられた・・・
・・・などと思って1年前の自分ブログ記事を見返すと、
ほぼ同じことでモンモンとする内容が書かれていて、自分にあきれかえる。
きっとやる、いつかやる、の「やるやる詐欺師」だと、おのれの正体にうすうす気がついてはいたが、
その証拠をつきつけられると、それなりに向き合わなければならない気がしてきた。
後悔や焦りを感じることは、そう感じることがクセになってしまうと、
そこから何も成長できないし、進歩することもないという事なのだろう。
一年後の自分に向かって、恥じない生き方をしたいものだと思った今日。
福岡パルコ・個展「忌野清志郎の世界」にて。
キヨシさんの濃密な生きた証がそこにあった。
2010年04月30日
ピアノが酔っちまった ・・・ Tom Waits
うさばらしで酒の力を借りようとしたのに、なかなか気分良く酔えなかったりするかと思えば、気持ちよく酔えるはずだった場で、なぜか想定外に悪酔いで醜態をさらしてしまったり。なかなか心から気持ちよく酔える酒の場というのは少ないのかもしれないことを、自らも改めて感じる次第で。
酔っぱらってまた咬みついた。 by ulalaさん
酒が引き起こしたことへの悔恨とか、酒にのまれた自分への自己嫌悪とか、自分もいつも翌日の状態はそんな感じだったような気もするが、結局それはちょっと酒が引き金になっただけで、おかしな状態になるのは心持ちが不安定なときなんだろうなと後で気がついたりもいつも似たような感じ。でもそんな反省がまた自分を追い込んでしまうのか?などとどうどう巡りをするのは精神の健康に良くないのかもなぁ。
「Piano has been drinking」
ピアノが酔っちまった
ピアノはずっと飲み続け
俺のネクタイはくたばっちまい
コンボはニューヨークに帰っちまった
ジューク・ボックスは便所に行き
じゅうたんの毛はぼうぼうで
スポットライトは豚箱の脱出口みたく見える
電話はヤニ切れになり
バルコニーは金儲けに熱中して
ピアノは酔っぱらって
とうとう狂っちまった
メニューはみんな凍っちまい
照明係は片目がっぶれ
もう一方の目だけじゃ何も見えねえとよ
ピアノの調律師は補聴器つけて
おふくろさんと現われた
ピアノはメロメロになって
とうとう狂っちまった
用心棒は相撲取りで
奴はホモで腰ぬけの黒んぼよ
そこの主人は薄らトンカチの小人で
知能指数はゼロ
ピアノは酒を飲み続け
とうとう酔っぱらっちまったぜ
ウエイトレスは
放射能探知機で探しても見っからねえ
奴はあんたやあんたの仲間を嫌ってるから
あんたはオーダーもできねえでいる
ボックス・オフィスはバカみてえに
べちゃべちゃしゃべって
バーの腰掛けは燃えあがり
新聞紙はうっちゃられっぱなしで
灰皿は灰で山んなり
ピアノは酔っぱらったまま
メチャメチャで狂っちまった
違う、違う、俺じゃねえ
この人みたいに、「すべて酒のせいや〜ピアノのせいや〜」と開き直りつつ酒を御する姿勢が性根がうらやましい。いや、もしかすると、酔っぱらっているときは自分も似たり寄ったりの精神状態なのかなぁ?
SION先生のアルバム『春夏秋冬』の中の曲『Closing Time』は、どうやらTom Waitsのデビューアルバムタイトルが由来であるらしい。ひときわ歌声を上げる「酔いどれトム」というフレーズにもリスペクト感がうかがえるような気もする。さすれば、酒飲みに関しては「Tom大先生」といった位置づけなのかもしれない・・・。
2010年04月26日
近ごろはいつも矢野顕子の『音楽堂』
身体の調子や仕事の好不調などのさまざまな波と同じく、自分の場合でいうと音楽への接しかたにもある期間ごとに波があり。とにかく新しい曲、流行ものを手当たり次第数追いかけて聴く時期があったり、ひとつのジャンルが気になると数珠つなぎ・・例えばスカパラが良くなってくるとレピッシュやフィッシュボーンやスペシャルズあたりまで遡ってジミー・クリフまで行って落ち着く、みたいなときも。グレン・グールドが気になっていた時期は、日頃あまり聴くことがないバッハ曲が、つられて気になったり。テレビで目にした沢田研二がかっこよく、しばらくはジュリー一色だったり、井上陽水もNHKの番組に連日かじりついた。そうしてまた冷めて少し距離を置いて、でもまた時間がたつと「あの感覚を」と反芻する。そういうことをよく繰り返す。そうかと思えば、なにも聴きたくない、めんどくさく思う日もある。
どういう心の状態が音楽の好みや方向性に影響を与えるのか?考えてみてもはっきりしたことは理解できないが、少なくとも熱くなれる対象がある時期というのは、生活に充実感や幸福感を少なからず感じているのは確かで。それは生活が充実していたり余裕があるから、音楽という文化的活動へもエネルギーが向くという図式も成り立ちそうであるし、音楽を聴いたり楽器を弾いたりすることが楽しいと感じる精神状態が、イコール幸福モードな生活の十分条件なのかもしれない。へこんだ時にも聴く音楽は決して幸福な状態ではないだろうが、音楽によって沈んだ気持ちを少しでも持ち上げることが出来ているなら、ベクトルは幸福方向に働いているはず。そんなことを思いめぐらしながら、では「不幸な音楽」なんてものはあるのだろうか?あるとしたらそれはどんな曲だろう?と考るも、なかなかイメージができなかった。そういう意味では、自分は今は幸せなのかもしれない。
矢野顕子のアルバム『音楽堂』が発売されて久しいが、いまだにヘビーローテーション真っ直中。
今日は何を聴こうかなぁ?と見渡し、結局選んでしまい最後まで繰り返す日々も既に長い。
今回のアルバムもスーパーフォークソングからずっと続くカーバーソングのピアノ弾き語り。特に病床から復活された名匠エンジニア・吉野金次氏との黄金タッグはそれはもう最高だ。タイトルの由来ともなっている神奈川県立音楽堂での録音は、心なしか今までより広がりというか反響の感じが深いように感じる。スーパーフォークソングのドキュメンタリーで映された緊張感溢れる制作現場の印象がいまだに残っていて、そのため1曲1曲生み出されるまでの過程を空想しながら聴くことがまた楽しく。曲は『グッドモーニング』『へびの泣く夜』ではじまる2曲が、なんだかまるで昔から聴き慣れ親しんだ録音のように錯覚するほど頭の中に入り込んでくる。個人的には4曲目までのうち2曲が「くるり」の曲だいうのもまた気持ちよく聴ける要因のひとつとなっているのかもしれない。ただ『春風』などはいつもながら元曲のイメージよりも強いくらい自分の曲になってしまっていて笑う。今回の選曲の中の1曲は、MySpace上で募った『矢野さんこれ歌って!』キャンペーンによって寄せられたファンのリクエストで『さあ冒険だ』だという曲。採用された人の名前がアルバムにクレジットされるということもあって、自分もGrapefruitsMoonをリクエストしてみたけどあえなく落選。リクエストした「HIROKO」さんという名前のクレジットを確認して羨望のため息をついた。この『さあ冒険だ』は、「ポンキッキーズ」の主題歌であり作詞:森高千里with S.Itoi(糸井重里)、作曲:カールスモーキー石井、唄:和田アキ子という凄い取り合わせ。そんな曲に矢野さんがコラボすることだけでもワクワクしてくる。
そんなカバー曲たちの中にあって、唯一矢野さん自身が作詞作曲の曲である『きよしちゃん』
きよしちゃん、いい曲だね きよしちゃん
きよしちゃん、いい歌だね きよしちゃん
この手をはなさない はなしてはいけない
ことばはいらない
Everything is gonna be alright
We'll do everything to end this fight
この曲の作曲時期はいつだったのだろう?
「どうしたんだい、ヘイヘイ、ベイベー・・・ヘイヘイ、ベイベー」
歌詞カードにも載ってないつぶやくように静かにフェイドアウトしていくアッコちゃんのこの歌声は、
でも、それは最後まで前を向いて、自ら(そして僕ら)を励ます声のようにも感じ聞こえた。